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費用対生活

先生はじっと聞いて、よくわかる、とうなずいた。生活と一線を画すというところに、たしかに文学の強さはあった、生活を捨てて文学を選ぶということが、間違いなくかつての文学者の力だった、だがそれはどうにも傲慢な姿勢だ、生活や家族を犠牲にして思いあがるあり方は人間として正しくはない、けれど、だからと言って、生活が十になってもいけないのではないか、そう先生は語った。(小林敦子「再びの言葉」、『アフリカ』vol.36より)

昨夜、ひと晩寝て、夜中に汗をかいたら熱はスッと引き、いつも通り仕事には出ました(体調に不安を抱えながら、なんですけど、と正直に打ち明けつつですが)。でも今日も何とか無事に自分の仕事が出来ました。そうすると、やっぱり気分がいいというか、ホッとしますね。

ところで私は書くことも、本をつくることも自分の仕事だと思っていますが、あまり稼ぎにはなっていません。していない、と言った方がよいか。それを言ったら家の仕事も全部自分の仕事なので、仕事の中身を考えるのにどのくらい稼げるかを考えてしまうこと自体がおかしいのかもしれませんが、本をつくる仕事にも家の仕事にもお金がかかるのが悩みの種といえば種でしょうか。それに比べたら、書くことには殆どお金がかからないと言ってよくて、その意味では、こんな楽な仕事はありません。ノートとかペンとかパソコンとかいろいろ必要でしょう? と言われるかもしれませんけど、本をつくるのに比べたら、ましてや生活に必要な出費と比べたら微々たるものです。

それでも長年にわたって書くこと、書き続けることは、それがどんなものであれ、生半可なものではないのかもしれません(当然といえば当然だけど、お金をかけたら書けるってものではないわけだし)。でも疲れたら休めばいいし、またそのうち書く気になったら書けばいいし、と私は言い続けてきました。果たして、どんなもんでしょうか。

本をつくることもあまり稼ぎにはなっていない、どころか、私のように余裕ゼロの中ひとりでやっていたら、マイナスにならないか(少しなら諦めがつくとして、マイナスが大きくなったらどうしよう)という不安にはいつも悩まされます。心強い仲間たちがいるから良い本が出来てしまいますけど(他人事のように素晴らしい)、とくに私の本は人気がないことで有名なので不安が大きい。そんな話をしていたら、ある人は「下窪さんのファンは奥ゆかしいから、みんな少し離れた柱の影からそっと応援しているんですよ」なんて言う。いや、ちょっと待て、応援しているなら出てきてくれてもいいんじゃない? と思いますが、「ファンはその人に似る」とも言うから、もしかしたら自分がそういう人なのかもしれません(否定はできない)。でも頼みます。あともう少し買っていただければ、赤字を回避できます。そこまで売れたら、私は大きな顔をして「本当に読みたい人だけ買って読めばいいんだぜ」と言えるんです。「残す」ことが、私の本づくりの大きな動機だからです。ぜひ言わせてください。お願い!

(つづく)

というわけで、以下、いつもの宣伝(オシラセ)です。

ウェブマガジン「水牛」の毎月1日更新のコンテンツ「水牛のように」で、下窪俊哉が2021年7月から連載している「『アフリカ』を続けて」の(1)から(33)までをまとめた ① が1冊になりました! BASEショップを中心に少部数をじわ〜っと発売中。読んでみたい方からのご注文をお待ちしています。
アフリカキカクのウェブサイト「オール・アバウト・アフリカン・ナイト
アフリカキカクのウェブショップ(BASE)

『夢の中で目を覚まして──『アフリカ』を続けて①』の表紙

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