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平凡は、見られ、呼ばれた瞬間に…
一昨日のつづきで、"ありふれたもの"の話。
昨年4月の「オトナのための文章教室」で、「平凡なもの、ありふれたものに敬意を!」という回があった。
その時、ある方が「"平凡な、ありふれたもの"について書けば、それはもう"平凡"とは感じられなくなりますね」と話してくれた。
その時に、ぼくは思いついた"平凡なもの、ありふれたもの"のリストをつくった。
書いたり、暮らしたりする中で、その"平凡なもの、ありふれたもの"を、よく見てみたり、意識して使ってみたり、してみたい。
…という気持ちがぼくにはある。
一昨日、平凡さを追い求めれば追い求めるほど、平凡ではいられなくなってしまう、という吉村芳生さんの(いつかの)気づきをご紹介したけれど、平凡さを意識した時点で、それは平凡ではなくなってしまうのかもしれない。
平凡なものは、おそらく、ほんとうに平凡である時には、ほとんど目に入ってこないし、呼ばれることもない。
平凡は、ハッと気づかれ──見られ、呼ばれた瞬間に非凡なものになっているだろう。
平凡といえば、毎日、毎日の暮らしも、平凡といえば(われわれの場合)平凡だ。
その平凡サンが生き生きしてくれば、楽しくなる。
ぼくはいま仕事と暮らしがクッキリと分かれていない感じで、これは10年前の自分にとって、理想だった。収入が極端に少ない、おまけに不安定ということが問題といえば問題なのだが、それすら逆手にとってやってゆきたい。
最近、息子(4歳10ヶ月)は光と影が好きなようで、ぼくも一緒になって遊ぶ。
"暮らしと遊び"がキーワードになるような気がしている。
(つづき)
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