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痛み、そのものよりも

必要があって、この10年間の、某所にかんするデータ発掘に取り組んでいるのだが、写真がたくさんあって、その中には自分が写っているものもある。ああ、若いなあ、と思う。そういえば、みんな若い(いまよりは…当たり前か)。

8年前の自分は、結婚して1年たったくらいの頃か、顔がスッとしていて、いまより痩せているが、とても健康そうだ。9年前の自分は、結婚して半年くらいたった頃か、顔がちょっと痩せすぎていて、あまりよくない。外出支援の仕事を始めた頃で、自分には(いまも続けている)その仕事がよかったのだ、と思う。その後、その「痩せすぎ」の感じは消えたのだ。

それまでは、頭ばかり使い、心をすり減らすような仕事ばかりしていた。もっとからだを動かす仕事をしたい、と思っていたが、どんな働き方があるものか…? と思っていたのだが、そんなときに出会ったのが風雷社中の中村さんであり、外出支援という仕事だった。ぼくはその頃まで、福祉の仕事にかんしては全くの未経験だった。「出歩く」のが仕事なので、からだを動かす仕事には間違いないし、知的障害のある人たちの支援なので、頭も使うというか、支援者ひとりひとりのセンスがものを言う仕事のようでもある(どういうセンスならよいというわけではなくて、いろんなセンスが集まっている方がよいのだろう)、ぼくはまだ30代前半だったし、いまよりずっとからだの無理もきいた。

30代も後半になって、あるとき左足の、踵に激痛が走るようになった。どうやら、歩き始めるときとか、立ち上がるときが一番きつい痛みになる。信号まちをして、立ち止まったあとが地獄なのである。ずっと足踏みしていればよいのかもしれないが、疲れてしまう。朝、起きてトイレに行くときは最悪で、これはまずいぞ、と思った。病院でみてもらった結果、「足底腱膜炎」という診断がおりた。病院の先生は、何てことないですよ、という顔で、「しばらく安静にしていてください」と言っていた。スポーツ選手によくある怪我らしい。スポーツ選手、と聞いて妙に可笑しくなった。たしかによく歩く仕事だが…

「安静にするとは、どうすればいいですか?」と聞いたら、「できるだけ歩かず、じっとしてることですね」というふうなことを言われて、思わず「そりゃむりだ」と言ってしまった。この仕事でなくても、歩かずに暮らせというのか… そして足の不自由な人たちのことを思った。何の苦もなく、当たり前のように歩けることが、そのときから当たり前ではなくなった。

踵の痛みはそのうちにひいたが、以前と同じ足の感触ではなくなった。怪我をする前の自分(のからだ)では、もういられない。スポーツ選手の怪我の話はよく聞くが、なるほど、こういうことかという気持ちになった。

からだも、いつも自分の思い通りに動かせるものではないのだ。むしろからだの状態に、自分が影響を受けている。よい影響関係にあれば、と思う。

さて、10年前の自分に、こういう話を書けと言っても書けないだろう。

いま、書きながら思う。そのときの怪我の痛み、そのものよりも、長い嵐のような痛みが過ぎ去った、その後に変わってしまったこと、変化を受け入れなければならなかったことの方が大きかった、と。

(つづく)


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