数秘術で救われた私の人生 Vol.3(記憶がない高校生時代)
記憶がない高校生時代
数秘術で救われた私の人生
私の原点・家族~争い~(Vol.1)
喜びの種が芽吹きだした時期(Vol.2)
のつづき。
高校の時に思い出せることがあるとすれば、身内で起きた事件と私の目の手術のことぐらいかな。
もちろん、さまざまな出来事があったんだろうけど、他に思い出せる事は記憶の中のほんの一部分しかない。
私の数秘の中には「9」という数字がある。
いろんな意味合いがあるんだけど、激動を体験することで、その乗り越えた経験が、その後の人生の中で、ギフトとなるエネルギー。
ギフトと呼んでいる理由は、自分の激動の経験を通して体感した感情を何らかのカタチで他者と共有することで、相対する人の痛みを癒し、再生に導くことができるから。
私が数秘に出会った時、この「9」という数が、自分の人生の物語に描かれていた、ただ、それだけで、救われた気持ちになった。
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物心つく頃から、大人が争う声を聞いてきた。
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どの家庭にも、大なり小なり、争いごとはあるだろう。
でも、小さな子どもにとっては、大人の争い合う声を聞くということは、耐えがたいものなのだ。
それは、生きている世界が狭すぎるが故、大事になっているからだ。
そんな幼少期を過ごして、学年が上がり、高校生になった。
うちにも、安堵した空気が漂っていた。
当時は、もともと家にいた犬のビリー。
迷子になっていた保護犬のクロもいたし。
それなりに幸せな日々だったと思う。
けれども、ある日起こった事件で、日常は一変する。
身内が事件を起こした。
その結果、叔父が帰らぬ人となった。
事実を聞かされて、驚きもあったけど、そうなってしまったか・・・というどこかで嫌な予感がしていたのか。
悲しい気持ちと悔しい気持ちみたいなのが、混じり合っていた。
誰も、止めることはできなかったんだろうか?
もっと、出来たことはなかったんだろうか?
人が亡くなるって、こんな風に起こることなのかな?って。
この時、クロを抱きしめて泣いたのを覚えている。
叔父さんの葬儀の一部のことも覚えている。
両親が気丈にに振る舞い、事を運んでいたのも覚えている。
後は、ほとんど記憶にない。
この時、哀しみに暮れている人を目の前にして、強く在ることが、どれだけその人を支えるのか、両親を見てわかった。
そして、この時私は、この両親の元に生まれることができて、本当に良かったと思えた。
私は、中学の頃、たまたま緑内障にかかっていることがわかった。
しばらくは目薬で眼圧をコントロールしていたけど、結果、改善することはなかったため、結局、高校生の時に、手術をすることになったんだ。
今、考えると、見たくない物が、それまでにたくさんあったのかもしれない。
同時に「私は弱っているの。助けて。」と誰かに、そして、自分自身に叫んでいたのかもしれない。
そう思う。
高校生時代は、きっと、楽しいことも、喜ばしいことも、感動することも、たくさんあったと思う。
けど、結局、今になってみると、そのほとんどの記憶が、私のどこか深い部分に埋まってしまっているみたい。
けれど、その、楽しいことも、喜ばしいことも、感動することも、その時に体感できていたことは、確かだと思う。
だって、今、それを思いっきり感じられる感覚があるのだから。
振り子が左右に振れるように、人生も、あっちにいって、こっちにいって、それを繰り返している気がする。
私の人生の場合は、その振れ幅が大きいけど。
私にしか生きられない人生を生きられているのだから、それはそれで、尊く感じたりしている。
今度は、振り子が反対側にいったのかな?
そのお話は、また後日・・・
次回は、「日本の外へ飛び出す」
お読みいただき、ありがとうございます。
今、思い返しても、予想外のことばかりだった。
でも、きっと、導かれていたような気がする。
また、思い出しながら綴っていきます。