私の1番の応援者でライバル、息子のヒデはユーチューバー
本の出版、突然思いつき、出版社に連絡し面談し契約を結ぶところまで、かけた時間一週間。さすがに契約金振り込み前には夫に報告したっけかな?それさえ今ではうろ覚え。息子に話したのは契約後。
その時の様子を、私の本に寄せてくれた文章の一部をご紹介。
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「奇想天外」 普通では思いもよらないこと
母は突然LINEで「ビッグニュース! ママね、エッセーを出すことにしたの」
と、送ってきた。大学生の私は母とのLINEを面倒くさく感じてしまい、普段はあまり返信をしないのだが、今回ばかりは流石に矢継ぎ早に質問した。
「どういうこと? 誰かに依頼されたの? ずっと書いてたの?」
すると1週間前に思いついて出版社に連絡して、3日で10枚ほど原稿を書いたという旨のLINEが返ってきた。
その時の私は
「また、この人は面白いこと始めたな」
と思わずにやけてしまった。
・・・・・中略・・・・・
私は小さい時から今まで目まぐるしく進んで行く数々の母の「ゲリライベント」を楽しんで見ていた。それは彼女が何か突然思いついたことを実現させている時が、一番楽しそうであり幸せそうだったからだ。
それを見て育ったからか、私は「思いついたらやっちゃおう!」の精神がうつり、企画するのが大好きになり、大学では旅行サークルの会長をやった。他の三姉妹も同じで、休みがあればすぐに海外旅行に行ってしまうような人達である。
だから今回のエッセーの出版も大きな挑戦だが、みんな「いいじゃんいいじゃん」と満場一致で賛成だった。
この奇想天外さが母の魅力となり、人を惹きつける。そして母のこの奇想天外な行動は平凡な日常が、急に刺激的な「非日常」になることを私たちに教えてくれた。 秀明
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本の最後に、友人と息子に「寄せ書き」を頼むと、快く引き受けてくれて、彼が書いたのが上の文。
彼が私について書いた文章を読むなんて最初で最後と思うから、そんなこと思ってたんだ・・・と驚いたのと同時に嬉しくて、本書いて良かったな~とつくづく実感できました。
息子の勝手気ままな人となりは、本にもたくさん書いたけど、執筆中、1年半後の今の彼を想像することは流石にできず、私の本が少しは影響?なんて勝手に思ったりしています。
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「悠悠自適」いつだってバカンス
がんばって勉強して、一生懸命働いて「さぁ、老後はゆっくりしましょう」と思っても、それさえも叶わない現実。ニンジンぶら下げられて走り続けている馬みたい。そんなの嫌だと思うなら、若いうちから自分で考えていくしかない。学ぶこと、働くこと、生きること。
「ワークライフバランス?」
「働き方改革?」
聞こえの良い誰かが掲げるスローガンなんかじゃなくて、自分で考えていくしかない。「オン」と「オフ」。お金を稼ぐこと使うこと。仕事と遊びの時間配分を。
いつできるか分からない悠悠自適のために、たくさんの我慢を強いられるなんて馬鹿らしい。したいことは先じゃなくて今すればよい。
いつだって悠悠自適、老後なんて待ってられない。
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息子は去年の4月からYouTubeチャンネル「ビデムービー」を開始。
3月に大学を卒業し4月から対馬の会社で働く傍ら、
島暮らし、対馬の魅力を発信中 (毎週月水土アップ)
いろんな不思議なめぐり合わせ、条件が重なって、そのような形で社会人としてのスタートを切った彼。
品川のスペイン料理屋さんに呼び出して、出版のいきさつと私の夢を話した一昨年の秋の夜、興味津津、誰より喜んで聞いてくれ、
「先越されたわ」と笑顔で激励してくれました。
執筆中、原稿読んではダメだしいっぱいしてくれて何度も書き直しさせる鬼編集者。
去年の4月、1回目の緊急事態宣言下、東京のアパートを引き払い、千葉の家に戻ってからステイホーム、有り余る時間の中で
彼はYouTube、私はアメブロ。二人で同時に開始して
就活、卒論、卒業、内定、島移住、仕事、夢
これまでのこと、これからのこと一生分話しました。
思えば、私の「何かしたい!」と思う情熱に火をつけたのも息子のヒデ。
「あなたの人生にはもう何も特別なことなんか起こらないね」
3年前、ふとした会話の中で彼が私に言ったセリフ。
きっと悪気があったわけじゃなく、20歳の息子が50歳の母に向けた自然な目線から出た言葉。
でも波瀾万丈好きな私には、とてもじゃないが聞き捨てならない酷い言葉。
それから3年、悶々と考えて、あれこれトライして、やっと出た私の答え、特別なこと。それが「ママ、遺書かきました」の出版でした。
対馬と千葉、それぞれの場所で、今やりたいこと、やれることに挑戦し、精一杯やり続け、お互い遠目で応援し合いアドバイス送り合い、久しぶりに会った時に近況報告、これからの夢、また語り合えたら幸せです。
note、YouTube「ビデムービー」よろしかったらご覧ください。
次回は私の本の表紙を描いてくれた末娘、イラストレーターAKAringoについて書きたいと思います。