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16夜◇寂しさはその色としもなかりけり~寂蓮法師
寂しさは その色としも なかりけり
槙(まき)立つ山の 秋の夕暮れ
(意訳:秋の寂しさというものは、目に見える景色とは関係がないのだなぁ。杉山のような常緑樹でも、秋の夕暮れは寂寥を感じるのだから。)
寂蓮法師 新古今和歌集
日ごとに陽が短くなる季節が、長い間わたしは苦手でした。
手の隙間から何かがこぼれ落ちていくようで、季節といっしょに身体まで欠けていくようで、訳もなく苦しかった。
都会の真ん中では、常緑樹どころか自然すら僅かだけれども、秋は大気の中に、寂しさが濃くなる。目に見えない「欠け」のようなものが、日々増していく季節なのだと思う。
この捉えどころのない寂しさを、慈しみ、見つめられるようになったのは、欠けることはまた満ちることであると、欠けもまた誇るべき美であると、幾多の和歌が教えてくれたからです。
寂しさとは、欠けに気づく心だろうか。であれば寂しいと感じる心は、満ちゆく喜びに気づく心と、表裏一体なのでしょう。
木の葉が落ちる悲しさは、花の蕾が膨らむ嬉しさと同じ心。空いていく季節である秋、寂蓮が詠んだ色なき寂寥感が、今はとても尊く、愛おしく思われるのです。
時が過ぎて目前の景色がいかに変わろうと、同じ視点に立ち、気持ちを重ねられるこの歌。秋の今日、耳を澄ませて、移ろう季節の寂しさを、精一杯感じたい。