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「切磋琢磨」は時として凶器になる
私は子供の時から親や親戚から「あなたは頑張り屋さんだからね」と褒められてきた。
当時は何のことを言われているのかわからなかったが、褒められていることだけはわかった。
これを言われたくて、無意識のうちに何に対しても頑張れた。
大人になって就職すると、自分とは育ってきた環境や考え方が違う人とひとつの目標に向かって共に仕事を行う必要がある。
皆んなが皆んな自分と同じ考え方じゃないし、同じスキルを持ち合わせているわけじゃない。
私は出来ない人に対して「何で出来ないのか」「なんでこんなにも効率が悪いやり方をしているのか」「なんで言われたことしかやらないのか」不思議だったし、声に出していた。
他人はなんで自分と同じかそれ以上に頑張れないのか、疑問だった。
「皆んな」は自分じゃない。
育ってきた環境も持っているスキルも違う。
私は子供の頃から刷り込まれた「頑張り屋」という自分の物差しを人に押し付けていた。
頑張りたくても頑張れない人もいる。
頑張りすぎて、辛い人もいる。
頑張りすぎて、疲れる人もいる。
頑張りすぎて、倒れる人もいる。
「切磋琢磨」は時として凶器になることもある。