東京ジャーミイ探訪記
代々木上原にあるモスク、東京ジャーミイへ行きました。
この日は第二回パレスチナデーが開催されていた。ツイッター(現X)を拝見していた、刺繍製品の販売を通してパレスチナ難民女性の支援を行なっている団体、パレスチナ・アマルが緊急で立ち上げたガザ支援NGO【Amal for Gaza】も出店すると知り、これは絶対行こうと決めた。
募金した際、代表の北村さんからお話を聞けてよかった。緊張でしどろもどろになってしまってすみません。ガザ現地の副マネージャーの方のお話を伺って、日本からの注文が希望になると聞いた時、北村さんと現地の方々との強固な信頼関係を感じて、何と言葉を返したらよいのか、わたしには言葉を見つけられなかった。ほんの少しのことしかできないけど、できる限りのことをしたい。
オンラインショップで先行支援のストールを申し込んだのだけど、会場にも実物が飾ってあって、黒地に赤や緑の刺繍があざやかに映えて、とても綺麗だった。わたしは刺繍に憧れがあり、やってみようとしては何度も挫折したから、も…っのすごい技術だと尊敬した。
バザーを回ったあと、初めてモスクへ足を踏み入れたのだけど、想像していた以上に壮麗で圧倒されてしまった。
なんといっても装飾の美しさに感動した。
天井がドームになっていて、見上げるとどこまでも美しい。なにか大きなものに包まれるような吸い込まれるような気持ちになった。
吊り下げられたシャンデリア(シャンデリアで合ってるのかな?)はアラビア文字を組み合わせた形になっていてとても綺麗だった。コーランの一節なのだろうか、どんな意味があるのだろう。
また、実際に行くまでは礼拝所というとすごく静かで厳粛な重苦しい空間なのかなぁと勝手に思っていたのだけど、思っていた雰囲気と違っていて驚いた。
メッカに向かってお祈りをしている方もいれば、遊んでいる子どもや、談笑して握手を交わすおじさんたちもいる。人と人が繋がり合う交流の場なのだろうなぁと感じた。わたしも小さな頃に友だちと地元の神社で鬼ごっこをしたことがあるのを懐かしく思い出したりもした。
わたしは海外へ行ったことがないから、自分自身を「外国人」だと感じたのは初めてのことで、聞こえてくる言葉の意味も全然わからないので不思議な気持ちになった。信徒でもなくて、コミュニティの一員でもなくて、言葉もわからなくて、縁を繋ぐものもほとんどないようだけど、ただぼんやりそこに出入り自由に居させてもらえることがありがたいと思った。
これまで、教会やモスクが破壊されたというニュースを見た時、信仰が身近ではないから、無意識のうちにわたしにとっての日光東照宮や清水寺(何年かに一度行くか行かないかの観光地であったり、歴史を“勉強”しに行くための場所のような)が壊されるような、非日常的なイメージで捉えていたように思う。
もちろん歴史や文化を破壊することは許されざる暴力で、あってはならないことだと思っていたが、外国の宗教施設と聞くと何となくそれだけで縁遠いものと感じ、そこにある暮らしをうまく想像することができなかった。
いかんせん浅学な上に引きこもり体質で習慣的に人と集まる場が思いつかないので的外れな可能性が高いけれど、東京ジャーミイを見学した際、わたしにとっての児童館や本屋さん、劇場、家族と行くファミレス、友だちといつも集まるカラオケetc…のようなものに置き換えて考えた方が、感覚としては正確なのではないかと思った。宗教や歴史という以上に、日常的な暮らし、身近な人々の繋がりに密着してアイデンティティの象徴となる場所なのだろうと感じた。それが一方的に壊されること・否定されたり占領されることがどんな意味を持つのか、その暴力性にこそ思いをめぐらせて悼み、憤るべきなのだと強く思った。
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ちっぽけなわたしが自分の見える範囲から感じたことをつらつらと書いただけなので、当然思い至らない点ばかりのはずで、非常にぼやぁっとした感想文になってしまったが、今まで知らなかった空気を肌で感じられて非常によかった。
だれか誘って行けばよかった……。
▼ わたしの外出記録よりためになると思うnote記事などのリンクを貼ります。
一刻も早い停戦と平和を
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