絶望なき世界に希望はない
25歳を迎え、ライフステージの変化が訪れている気がする。
InstagramやFacebookでは、中高や大学の友達が次々に結婚報告をする投稿が増えてきた。
それに伴い、友達の結婚式の様子がストーリー等で散見される。他人の門出を垣間見れることで幸せをお裾分けしてもらった気分だ。
しかし、一瞬の幸せは糠喜びとなり、覚めた後には悲しさが残る。
自分は一体何をしてるんだろう。
自分の現状を把握しよう。
中々絶望的な状況だ。文字起こしをして更に気持ちが萎える。
幸せを比較するのは愚かなことだが、同期と比べた自分があまりに惨めすぎる。
思い出したくない過去や黒歴史では多い方だと自負していたが、今が人生の中でどん底だ。
あー会社辞めない方がよかったのかな…
しかし、その文章を書きながら爆笑している。
「こんな25歳周りにいるか?」
我ながら面白い人生を生きていると思う。非合理的選択によって窮地に追い込んでいる。
地に落ちたからこそ見える景色もある。
ユダヤ人の教え「タルムード」の中でも以下のように書かれている
この話は、好況のあとには不況が必ず訪れることを示唆している。しかし、私は暗い世界からでしか幸せは気付けないと捉えている。
何もない状況で生活を送った経験は自分を強くしてくれる。挑戦して失敗した時は今日の自分を思い出して生活すればいい。いわば、「足るを知った状態」である。
また、困ったら助けてくれる友達がいることを知ることが出来た。ご飯を奢ってくれたり一時的に泊めてくれたり、本当に至れり尽くせり。
友達や家族を守れて自由に生活を送れるだけの強さが欲しい、心からそう願った。
今は誰とも会わない冴えない日々を送っている。この絶望的な状況だから希望が見える。絶望がなければ有り難みを実感出来なかったかもしれない。その方が愚か者だ。
絶望は新しい発見を生み出して僕を試す。
やってやろうじゃないか