幸せで居続けることへの恐怖
セルフトータルマネジメントコーチのIdaです。
5月18日は初めてファシリテーターとして瞑想会を開催しました。
参加者のみんながそれぞれプロセスを通り、それぞれが変容していく様は涙が湧くほどとても美しかったです。
参加してくださった皆様、一緒に場を創ったパートナーたちに感謝です。
さて、タイトルの「幸せで居続けることへの恐怖」ですが、
次の日、9月に行われるイタリアでのイタリアンリトリートのご飯会でのことです。
友人の仕事の上司に対するシェアを聞いている時に「わかる!!!私の前職の上司もね、そんな感じでひどくたいへんな人だったんだよ!」
と怒りや悲しみ、許せないという感情が出てきました。
先日感じた、彼に対する悲しみや許せないという感情に似ていて、この根本的な許せないという感情はどこからきているのだろうと思うようになりました。
奥底から出てきたのは
「幸せな瞬間はいつも突然終わる」
という言葉でした。
私が過去一番幸せだった瞬間を話す前に私の出生時に起きたエピソードを話させてください。
私は母親のお腹の中にいる時は一卵性双生児で双子でした。
お腹の中で妹と繋がり、母親と繋がり安心で安全に9ヶ月一緒にいたわけです。
しかし、妹は母親のお腹の中で亡くなりました。
家族親戚から聞いた話によると、検診の前の日に父親が早く帰ってきたために、検診を今日行こうかと病院に行き、妹の心臓が動いていないことがわかり、緊急オペ、帝王切開で生まれました。
以前行ったワークで過去の一番幸せだった体験で見えた記憶はこの出生時でした。
暗闇の中、ドンドン、ドンドンって壁のようなものを叩いていて
「助けて!気づいて!」って叫んでいて、光が見えた瞬間に「気づいてくれたー!」って泣いてる記憶でした。
もしかしたら、この許せないという感情も出生時の体験が深く関係しているのではないかと感じました。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
ただ、確かに思春期の頃に感じた「なんで一緒に生まれてこなかったのか」「なんで一緒に死ねなかったのか」「なんで私じゃなくて彼女だったのか」という疑問。
双子や兄弟の魂は一緒にいようねと約束をして生まれてくるという話を聞いたことがあります。
ましてや、双子。そして一卵性双生児。
9ヶ月間、一緒にいた私の側面が急にいなくなってしまったわけです。
分かんないけど、なんかその時に感じた喪失感ってすごいと思うんだよね。
今でさえ、大切な人を失った時の喪失感だって結構なものなのに、ずっと安心で安全な母親のお腹の中で一緒に過ごしていたパートナーが居なくなった!!って気づいた時の喪失感や悲しみは今の私でも計り知れないなって思う。
一緒に生まれてこようねって約束してたのに、なんで?ってどこ探しても見つからなかったら、苦しくてその感情を小さい時には扱えなくて、「妹が悪い!裏切られた!許せない!」ってなっても不思議じゃないなって。
あと、もう一つ。
生まれた時に貧血状態で生まれたことにより、私には脳性麻痺の症状があります。
お母さんに気づいて気づいて!って必死に生きようとしていた私。
生まれてこれたことはすごく幸せだけど、こんなはずじゃなかったのにって。パートナーもいない。体もうまく動かない。それは小さな小さな私からしたら「恨み」にも似た感情が湧いていたのかもしれない。
小さな小さな私の自己防衛。
そうしないと一緒に居れた幸せだった9ヶ月間の後の大きな喪失感と絶望感と悲しみに耐えられなかったんだと思う。
そしてその感情に蓋をしたんだと思う。
私の無意識の中にあった喪失感と絶望感と悲しみは、
・幸せな瞬間は長くは続かないとしていること
・人を心の底(腹の底)から信頼したり委ねることへの恐怖
・人の輪の中に入っていく恐怖
・私という存在への信頼と愛することへのブロック
に繋がっていることに気づきました。
書きながらハートが痛み出したり、頭が働かなくなりますが
私のこれからのプロセスに向け、気づきをシェアします。