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奥の奥にある感情

先月の9月の瞑想の合宿から実家にいる時とサイレンスに入った時にどうしようもない寂しさと虚しさと人と一緒にいたいという感情と感覚に飲み込まれそうになってました。



今まではサイレンスに入ると自分の空間やスペースにいれるため、とても心地よくくつろいで安心できる感覚があったんです。


なので、サイレンスが溶けた後の喧騒の中にいられないことがしばしばありました。



が、今度は人と一緒に居たくて、人に触れたくて仕方ないんです。



1人でいれないから、友人や親戚に会いにいく。
1人でいれないから、友人に連絡する。



1人で抱え込まずに誰かにコミュニケーションを取っていたのは意識的なのか、本能的なのか。



このなんとも言えない感覚、寂しさ。
うわぁーー!!!!と感情にまみれ。まみれ。


十全にまみれました。



わなびばでの初めての夜も寂しさやばくてね。



何が起きてる?と観察しながら、
わなびばに必然的にあった今の私へ師匠 岸英光さんからのメッセージ(笑)


その不安に有を与えて、感情に支配されずに横に置いて。
で、今何するの?



必要なことが必要な時に起きるけど。
どんぴしゃー!と思わず読みながら笑ってしまった。



この、人と一緒にいたい感覚の奥には深い部分で人と繋がりたいがある。
そのさらに奥には甘えたいがある。



これを隠していたから過去の彼氏がどれだけ私を傷つけようと、どれだけ健全な付き合いではないと分かっていようと依存的で一度できた関係性を手放せずにぐずぐずしていたのか。


甘えさせてくれる人へは依存的になり。
甘えれない人は切り捨てる。笑



音楽もそう。バンドもそう。バンドマンもそう。


私を見て私の想いを観て組んでライブをしてくれるバンドが好きだった。



仕事でも、イベンターでも妹のような姉のような、子どものような孫のような。そんな私が常にいた。

だからこそ機能してた時もあるし、機能してなかった時もある。



そうか。




私は私と一緒にいてくれる人に甘えたいんだ。



後はハートをオープンするだけか。



それに気づいたらね、寂しさなくなった(^^)



そして、今までの関係性って対等ではないことにも気づく。
上下や優劣や強弱をつけがちだった。


でも私を観てと思ってる私は対等の関係性を求めてる。



真反対の方向に引っ張ったら、切れかけてた。
そのギリギリのところにつねにいた。


自分の首を締めてその切れるか切れないかのスリルを楽しんでた。



そんな私もOKだし、マゾの私も好きなんだけど、自己承認のプロセスにおいては機能しないよね。
思考や人からの刺激はマゾのくせに、自分に対してだけ超サディスト。笑



ただニュートラルに全て受け入れる。
それらを有るものとして、今何を選択するか。



先の課題も見えてきた。



承認の先に立場をとって責任を引き受ける。
やっぱり私の今の課題はバイタリティ。



そう思えるのも、今ここでプロセスの中にいると決めれたのもCTN(コミュニケーショントレーニングネットワーク)に出逢え瞑想に出逢えたから。



巷にはコーチングというものが色々ある中で、ノウハウやテクニックや思考レベルではないCTNのセンスに出逢いそのセンスに生きることは何ものにも変えれない価値。



そしたら在り方が変わった。


そして、本日は新月。
お願い事を書いて、満月に向け取り組みます。


気づいたらウォッチができる。
ジャッジせずに十全にその感覚を味わってまみれたらいい。



振り切って初めてバランスが取れる。


自転車も最初はとても転んで乗れるようになって。その後に調子に乗って両手離し運転とかして転ぶから、ハンドルを両手で持って安全運転をする(バランスを取る)。



enjoy♡


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