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読まれないけど、読んで欲しい 届けたい人に向けて書き続ける

2020年7月18日、窓の外にみえる曇天を眺めながらボンヤリ観ていた歌番組の途中。衝撃のニュースが耳に飛び込んでくる。

三浦春馬さんが、亡くなった。

いったいなんの冗談?戸惑うばかり。どうやら冗談などではないことがわかっても、わたしの心は受け入れてくれなかった。

カッコいいとか華があるとかいう理由を抜きに、芝居に惹かれる俳優さんは多くない。わたしにとって、彼はそんな演じ手のうちの1人。テレビドラマなら『僕のいた時間』『わたしを離さないで』『おんな城主直虎』。そしてミュージカル『キンキーブーツ』。

ずっとずっと、年をとっても、素晴らしい芝居を見せてくれると無邪気に信じていた自分を呪う日々がはじまった。何をしていてもぼんやりして、ふとした瞬間に涙が流れる状態に耐えきれなくなって、noteに吐き出し始めたのは、その年の9月。

出演作を振り返っていくうち、時に対峙する相手を引き立て、時に安直な感情移入を拒むような芝居をする彼にふたたび魅了されていった。noteに感想を書いたら多くの人とのつながりができた。書くことが、次第にわたしを癒していく。

こんなにたくさんの人の心を動かす演じ手がいたことを、語り継がなくてはいけない。彼を語り継ぐには、他の演じ手も知らなくては説得力に欠ける。多くの映像作品、舞台、ミュージカルを貪るように観た。書いた。書いていくうちに、気がついてしまった。

わたしの文章力では、素晴らしい演技の魅力も作品の魅力も伝えきれない。無難で凡庸な言葉の連なりと目の前に置かれた芝居が、フィットしない。似合わない服を無理矢理着せられて、ぎこちなく微笑む子どものよう。日本の錚々たる俳優の「引き算の芝居」がどれほど魅惑的かを表現するためには、文章が「足し算」で作られていてはダメなのだ。

そんな時、縁あってある文章教室に通うようになった。課題をこなし、コメントをもらい、他の参加者の書いた文章に触れる。「文章上のわたし」がかたち作られてゆく。やっと何となく手応えを感じられるようになるまで、2年かかった。

美しい文章を書けるようになったわけじゃない。語彙が増えたわけでもない。覚えたのは自分らしさを研ぎ澄ますこと。構成、言葉の配置、リズム。引き算の芝居を足し算で説明しても、わたしらしく伝えることはできない。必然的に「書いていないこと」を自ら感じようとする人にしか伝わらなくなるけれど、それでいい。セリフで言わないことの中に、役の「人柄」がにじみ出ているのだから。

わたしを惹きつけてやまない役者さんや映画監督さんたちの魅力を、わたしというフィルターを通して伝えたい。そのために映画や観劇の感想はもちろん、エッセイも書く。なぜって?

本当に伝えたいことは、研ぎ澄まされた文章の中にこそあるのだから。



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はるまふじ
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