真の醜さとは、見た目か心か ミュージカル『笑う男』
何の公演を観に行った時だか、忘れてしまった。
帝国劇場で『笑う男』のポスターを観た時、直感的にチケットを取らないといけないような気がした。
抽選予約開始と同時に申し込んだのが昨年の10月。
ちょうど、『マドモアゼル・モーツァルト』を観るため、東京建物ブリリアホールに入り浸っていたころである。
チケットが確保できて安心していたら、公演関係者が新型コロナウイルスに感染し、公演が中止になってしまった。
2022年になってから、宝塚歌劇団花組の『元禄バロックロック/The Fascination!』のチケットに続き、2つ目の公演中止となった。関係者の皆さんがあれだけ細心の注意を払っていても、逃れられないとは。ウイルスを憎んでも意味が無いと分かってはいても、恨み言の一つも言いたくなる。
中止の知らせを受けた後も、どうしても観たい気持ちが止められなかった。
浦井健治さんを観に行くのはほぼ1年ぶりだったし、他のキャストさんもベテランばかり。
デア役のお2人はベテランではないけれど、実績充分。
期待するなと言う方が無理だろう。
Wキャストとなっているデア役のうち、真彩希帆さんが東京千秋楽を迎える2月18日の回のチケットを取りなおした。幕が無事に上がって、カンパニーの皆さん全員で東京千秋楽を迎えられることを、ひたすら祈った。
当日、帝国劇場へ着いた後も幕が上がるのか半信半疑だった。
『笑う男』のざっくりした紹介
原作は、『レ・ミゼラブル』の作者として知られるヴィクトル・ユーゴーの小説である。2018年に韓国で初めてミュージカル化され、翌年には日本で初演されている。作曲を担当したのは『ジキル&ハイド』のフランク・ワイルドホーン。17世紀のイギリスが舞台の物語である。
主人公のグゥインプレンは、子どもを売り買いする組織・コンプラチコによって見世物にするため口を裂かれた少年だ。コンプラチコに捨てられた彼は、寒さに凍えながら当てもなく歩く道すがら、女の子の赤ちゃんを拾い、デアと名付ける。赤ちゃんは生まれつき目が見えなかった。偶然出会ったウルシュス(山口祐一郎さん)の元に身を寄せ、成長した2人はやがて愛し合うようになるが…
という感じのストーリーである。
それにしてもこの紹介、最後の「が」一文字に意味を持たせすぎだな。
ようやく会えた・・・
やっと会えた!
といっても、浦井健治さん演じるグゥインプレンの話ではない。グゥインプレンの父、ウルシュス(山口祐一郎さん)である。
山口祐一郎さんを舞台で拝見するのは、『モーツァルト!』以来だ。
それ誰?って方は以下をご参照いただきたい。とにかくミュージカル界ではすごい人だと思ってくれたら、まずはOK。
ウルシュスが歌う「残酷な世界」は難しい曲だと思う。メロディラインだけではない。スタッカートを効かせた「生きぬっくっためにはっ だっれっかっ 蹴おとっすっしかないぞっ」の部分や、曲の最後の音量を絞りながらの歌唱。その表現力の豊かさに、驚かされっぱなしだった。
歌にもお芝居にもどっしりとした安定感があって、「キング」と呼ぶにふさわしい風格の山口祐一郎さんが演じてくれたウルシュスは、温かく愛情深い父だった。グゥインプレンとデアを見守りながら、貧しくも支え合って3人でたくましく重ねた年月を感じる、佳いお芝居だった。
「醜い」浦井健治グゥインプレン
もともと「陽」のイメージが強い浦井健治さんだが、グゥインプレンは「醜い」と言うコンプレックスを抱えて生きているので、葛藤が激しい。
こういう役どころの浦井さんを観たのは、覚えている限り初めてだ。
浦井さんをそこまで追いかけてないせいもある。映像で観た『五右衛門ロックⅢ』に、『天保十二年のシェイクスピア』、そしてシアター・クリエで昨年観た『GHOST』ぐらい。彼の凄さを理解できる内容の舞台を、直接観た経験が私には圧倒的に少ない。
で、グゥインプレンである。
コンプレックスを抱え、「デアにはふさわしくない」と気持ちを押し込めつつも、2人のデュエットでは彼女への愛にあふれた優しく甘い歌声を響かせる。ウルシュスと向き合い歌い上げる「幸せになる権利」では、運命に抗う野心ある青年の力強さを歌声で表現する。
だが最も心を震わせてくれた曲は、やはり「笑う男」だ。
クランチャリー卿として貴族院へ行き、貴族たちの醜い欲望を目の当たりにしたグゥインプレンは、彼の容貌の醜さを嗤う貴族の醜悪さを、貴族たちに向けて歌い上げる。
声が・・・声が今までと全然違うじゃないか!!!とまず背筋がゾクっとした。「俺は確かに化け物だが、真の化け物はお前たちだ」と貴族たちに突き付けるかのような歌唱とその姿が、脳裏に焼き付いている。
「ピュア」とは彼女のための言葉 真彩希帆デア
真彩希帆さん。
元宝塚歌劇団雪組トップ娘役である。
トップスターの望海風斗さんとともに、近年の宝塚歌劇団を代表する歌うまコンビと言われた2人のうちの1人。もちろん、映像では何度か拝見している。
板の上に立つ真彩希帆さんを観て、思った。
いや・・・これは凄い。
何が凄いって、芝居としての歌が上手い。
そして、盲目の女性にしか見えないお芝居力の高さにも感動した。
デアは、盲目であるがゆえに視覚以外の感覚が研ぎ澄まされていると思うのだ。目に見えるものに惑わされることが無い分、純粋で、心で受け取ったものを大事にする人だと言える。
目の前にいたのは、まさにそんな存在だった。
あの、この人あれですよね。雪組公演『ONCE APON A TIME IN AMERICA』で、床を赤い薔薇でいっぱいにしたヌードルス(望海風斗さん)を、手ひどく振った人ですよね??
本当に同じ人なのかと思うほど、ピュアな姿を歌でもお芝居でも見せてくれた。特に歌に関しては、映像で観るよりもずっと凄かった。まるで同じ空間にいないと感じられない音の粒子が、私に向かって飛んできているような気すらした。
こじらせ極まる 大塚千弘ジョシアナ公爵
アン王女の腹違いの妹、ジョシアナ公爵はなぜグゥインプレンに惹かれたのだろうか。
彼女の生い立ちを考えると、ひねくれものになっていくのはよく分かるのだ。王女から見たら妾の子であるジョシアナ公爵は、嫌悪の対象だろう。貴族社会全体からずっと同じように見られていたのだと思うと、そうなっても仕方ないだろうなという気はする。どこかに満たされなさをずっと抱えている、とも言える。
婚約者であるムーア卿を毛嫌いするのは、彼が金目当てだと感じているからということもあるだろうが、単純に王女の命に従うのが癪だったのかもしれない。
で、グゥインプレンに惹かれた理由はやっぱり分からないわけだけど、見た目は醜くても心が純粋だということが、彼女の心の琴線に触れたのかもしれない。
大塚千弘さん、生い立ちが複雑で色々こじらせているジョシアナ公爵が、大変お似合いだった。調べてみたら再演からの出演だとのこと。初演の時はどなたが演じておられたのかと、調べてみたら何と朝夏まなとさんだった。
あの太陽のようなまあ様が、こじらせキャラ・ジョシアナ公爵を?
それはそれで、観てみたい気はする。
だがやはり、この役は大塚千弘さんにとても良く合っていると感じた。
絶妙なスパイス 石川禅フェドロ
フェドロは、使用人である。
石川禅さんは、実に飄々とした感じで時にコミカルに、時に野心をちらつかせてフェドロを演じておられた。なんとなくアン王女は嫌いなんだろうなと思わせる細かいお芝居が、スパイスとして効いている。ジョシアナ公爵に対しては、もう少し強い嫌悪を抱いているように見えた。
で、ここからはちょっと私の妄想が入るのだけど、「漂着した瓶の手紙回収係」って本当に必要だろうか。勝手に係を作って、自分の野望を実現する機会をうかがっていたのではないだろうかと思えてしまうのだ。
つまり、漂着した瓶の手紙を見つけたら、内容を捏造し、誰かをクランチャリー卿として仕立て上げることを考えていたのでは?
ジョシアナ公爵がグゥインプレンに入れ込んでいるのを見て、彼をクランチャリー卿に仕立てあげ、彼女と結婚させ、自分はグゥインプレンを自由にコントロールすることで貴族社会を支配する・・・そんな野望を抱いていたのではないか、と。結局失敗したけれど。
そう考えると、ジョシアナ公爵に対する感情も含めて、フェドロもずいぶん歪んでいる。
もちろんこれはどこにも書かれていない話なので、完全に私の頭の中だけのストーリーだ。だが、そんな想像をかき立てられるほどに、石川禅さんの演じるフェドロは素晴らしかった。
再再演があるのなら、ぜひまたフェドロを演じていただきたいものである。
終わりに
チケットを取り直した甲斐のあるミュージカルだった、と断言しておこう。
欲を言えば、熊谷彩春さんのデアも観てみたかった。
結末はけっしてハッピーエンドではないけれど、グゥインプレンとデアの愛の形はあれしかなかったのかもしれない、とも今は思っている。
そして、もし再再演も、その次も、その次もあるなら。
是非、浦井健治グゥインプレンと山口祐一郎ウルシュスの組み合わせで、可能な限り公演を続けて行っていただけると、嬉しい。
今年から来年にかけて、『ガイズ&ドールズ』、『COLOR』、『キングアーサー』と、浦井健治さんは大きなミュージカルへの出演予定が詰まっている。いずれも、観に行こうと思っている。
今からとても楽しみだ。