ダメ孫👧🧒
今日は8月31日。
今はどうかわからないが、私達が子どもの頃は、怠惰な夏休みを過ごしたツケに焦った子ども達が親に泣きつきながら、家族総出の駆け込みで宿題を片付ける、決戦日である。
毎年夏休みになると、妹と私は、東京の祖父母の家へ遊びに行った。
小さい頃は母が一緒に付き添っていたが、小学生ともなると、母に新大阪駅まで見送ってもらい、新幹線に乗って私達だけで行くようになった。
祖父母の家で過ごしていたある日のこと、祖母が買い物に出かけた隙に、私達2人はここぞとばかりに、大人がいたら100%注意されるであろうイタズラをして遊んだ。
例えば、火遊び。そのへんにあった新聞紙や広告を適当に小さくちぎり、祖父の灰皿に入れて、マッチで火をつけて燃やす。紙がだんだん燃えて黒い灰になっていく様が面白くて、何度もやった。今考えると、小学生の子どもだけでそんな事をしたら危険極まりないのだが、その頃は何も考えず、炎🔥の魅力に取り憑かれたように遊んでいた。
祖母が帰って来て灰皿に残った灰を見つけ、「危ないから、やっちゃダメよ」と注意されたが、やめるどころか、証拠を残さなけりゃバレないだろうと、遊び終わった後、台所のシンクできれいに灰皿を洗って、何事もなかったかのように戻しておいた。
だいたい、まじめな私をそそのかすのも悪知恵が働くのも、妹だった。
ある時、妹が「お姉さーーん、面白いよ〜〜❣️」と私を呼んだ。妹が何をやっていたかというと・・・
「鬼は〜〜外〜〜、福は〜〜内〜〜!!」
と叫びながら、家の2階へ上る階段の途中から階下へ「生米」をまき散らしていたのだ★☆
えええーーっっ😱と驚くと同時に、こんな事やったら怒られる…という後ろめたい気持ちと、すごく面白そう♬という悪魔のささやきが頭を駆け巡り…がしかし、意思の弱い私は「ねぇねぇ、面白いよー、ほら〜やってみなよー」という妹のダメ押しの悪の誘いに、まんまと乗ってしまった。
台所の米びつから米をすくい取り、2人で「鬼は〜〜外〜〜、福は〜〜内〜〜!!」と盛大に階段と廊下に米をまきまくった。
帰宅した祖母は、ビックリ仰天‼️普段はものすごく優しくて怒ったところなど見たこともなかったが、その時ばかりはさすがに「食べ物を粗末にしてはいけないよ!二人で全部拾いなさい!」と怒られた。そして、「ごめんなさい」と謝って妹と2人で途中まで拾っていたが、優しすぎる祖母は見兼ねたようで、「あとはおばあちゃんがやるから、もうこんな事しちゃダメよ」と言い含めて、残りの米を片付けてくれた。
大阪へ帰ってからも、一部始終を祖母から聞いた母に、それはもうこっぴどく叱られたことは、言うまでもない。
(若気の至りとはいえ、全国のお米農家さん、申し訳ありませんでした💦)
それから、まだある。
私は夏休みの宿題の算数ドリルをやるのが面倒くさくて、「どうしてもできない」とダダをこね、大阪へ帰る日の前夜になんと祖母に徹夜させて、代わりにやってもらったのだ。(笑)
朝起きて、すっかり憔悴しきった祖母から伝えられたことは、
「おばあちゃんでもわからない所があったよ。春菜ちゃんはこんな難しいのをやってて、スゴイねぇ!」という称賛の言葉と、
「途中で疲れちゃって、答え見ながら書いた」という懺悔、
「おばあちゃんの字だとバレるから、春菜ちゃんの字で書き直しなさい」という大人の知恵だった。
(でも、それすら面倒くさくてやらなかったので、「これ、あんたの字じゃないでしょ!」と結局バレて、母に怒られるのである)
こんなイタズラし放題、甘え放題のダメダメな孫達を可愛がり続けてくれた祖母は、三味線と民謡の先生でお弟子さんを抱え、手先が器用で裁縫の仕事も請け負っていた。お出かけの時は、自分で縫い上げた上下白のスーツを着てシャキッと歩く、素敵な女性だった。
たいしたおばあちゃん孝行もできないうちに他界したが、今となってはどんなに感謝してもしきれない、大好きな祖母だった😌💖✨