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お金と向き合っていたら、習い事にまで繋がっていった話

毎日いろんな思いや感情が湧き出てきて、今まで以上にじっくりと自分に潜って自分ならではの設定について確認・掘り出している今日このごろ。

今朝は”お金”について自分に探りを入れていたら、なんと最終的には子どもの頃に習っていたスイミングやエレクトーンのときの想いが出てきました…。

スイミングは小学校の間に正式な卒業ができず、中学校に入ってからも少しの期間続けて、きちんと4泳法習得して終えて修了。でも本当は小学生のうちに卒業できてたんじゃないのかな〜って。もしかしたら私、親の愛を試していたのかも…って。

あと、エレクトーン。本当は私、続けたかったんだなぁ〜って。でも、「新しい機種を買ってもらうにはお金がかかるし、習い続けていくにもお金はかかる。私が講師になれるグレードを取ったところで何にもならないだろう。というかそこまでやっても講師になれないかもしれないし。まぁここまでやったんだから、親も満足だろう。大学受験を理由にして身を引こう。」と。当時高校3年生だったのですが、意識に上ってこないところでこう考えていたことに約20年経った今、気づきました。「親からの期待を裏切らず、親への負担をかけすぎない、ちょうどいい塩梅。だから辞めよう。」と、自分の気持ちに蓋をして、その蓋をしたことにすら気づかずに。

そして私はずっと、「私は相手が求めることをしていないと生きている価値がない」「私はお金を使ってもらえるほどの価値がない」「私はお金を使う資格がない」という設定があったことにも気づきました。だからお金が手元にあるとなんか怖くて使いたくなっちゃってたし、いざ自分の好きなもの・必要なものを買おうとするときも怖くて仕方なかったんだなぁ…って。

なんで自分のなかでこんな設定になっていたのか、正直不思議です。でもきっと、”長女として”頑張っていたんだろうなっていうのは分かる。だから、大人になった今でもふとした時に顔を出して自分で自分を苦しめてしまうんだろうなぁ〜って。

きっとまだいろんな設定が私の中にはあるはず。またこれからもノートを使って、毎日自分に潜っていこうと思います。

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松山ルカ
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