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年越しに感じた、家族の形
2年ぶりに実家に帰って、年越しの紅白を観ながら母の白髪染めをした。「この辺が白くってさぁ」って髪をかきあげて見せてくれるんだけど、確かに大分白かった。たしか56歳だったかな、こういう時、母も歳をとっていることを急に実感する。
そう言えば老眼鏡をかけるようにもなったし、
「もう全然痩せなくて~」ってぼやいてることも多いし。
白髪染めをするのも2年ぶり。
実家に住んでいた頃はよく手伝っていたんだけど、私がいなくなってからは自分でやってるらしい。そう言えば帰る度に「白髪染め手伝ってくれる?」って聞かれるなぁ、「はるちゃん(私)がやるとキレイに染まるから」って母は言う。
別に私の技術がうまい訳じゃない。
ただ、丁寧にやるだけ。
紅白のテレビをそばに、白髪を染めはじめる。前髪の生え際とてっぺんは何度もくしを通して念入りに塗った。そばでは妹と父もおしゃべりしていて、なん年ぶりかの4人だけの時間だった。
それで、なんか急に思い立ってずっと気になってたことを母に聞いてみた。「今だ」って思ったから。
「ねえ、どうして私って小さい頃、よくAちゃん家にいたの?」
自転車の乗り方を教えてもらったのだってAちゃんのお父さんだったし、お誕生日のお祝いもAちゃんのお母さんがしてくれた。そのくらい、休みの度にAちゃん家いたのをずっと不思議に思ってたんですよね。
Aちゃんとすごく仲良しだった記憶もあるけれど、それだけが理由であんなに遊びに行ったかな?
両親が忙しかったのは十分感じていたけれど、「忙しくて預かってもらえませんか?」なんてやり取りがあったのかな って。
母は、
「あーそれね、Aちゃんのお母さんに『はるちゃん(私)貸してくれない?』って言われてたのよ」
「え、、?」
「Aちゃんのお母さんね、ちょっと高齢だったでしょ?それもあってかAちゃんに友だちができないことをすごく心配しててさぁ、『うちに来てAちゃんと遊んでちょうだい、はるちゃんがいいのよ』なんて言われたのよねぇ。それからだったかなぁ」
全く知らなかった。
Aちゃんに友だちがいなかった記憶もないんだけどなぁ。
「だけどもちろん、ママの都合もあったわよ。本当に余裕がなかったから」
そう言う母はちょっと悲しそうだった。
「だよねー、だって授業参観だっておばあちゃんだったじゃん?水泳(習い事)もおばあちゃんが見に来てくれてたし。ほんとはママに来てほしかったもん」
ここで突然妹が登場。
「ほんと、家にいなかったよねー。なんにも相談できなかったし、心配かけたくなかったからいじめられたこととか黙ってたもん」
もう時効だし~ってノリで、ずけずけ言う妹。
もう妹の中で終わった出来事で、言える関係だからこそだと思うけど、我ながらやっぱり妹は強いなぁと思う。私はそこまでずけずけ言えない。そんなこと(いじめられてた)親に言ったら、「私のせいで」って思わせちゃうんじゃないかって思ってしまうもん。
「まぁ、そんな環境だったからこそ出来ることも増えたし、こんなにたくましく育ったよ(笑)」
私なりのフォローをいれる。
「まーまー、こんなに強くたくましく育ったジャーン!」
酔っぱらいの父もここで加勢する。
「いやいや、(全部)お前のせいじゃー!」
母がそう言って、茶目っ気たっぷりに父を睨み付けた。
私も妹もずっと前から、子どもの頃から分かってる。というか察してた。我が家が金銭的にも気持ち的にも余裕がなかったのは、父が関係しているってこと。
父は本当に遊び人だった。
仕事でもらったお給料も全額明かさず、自分が遊ぶのに使っていたこともしょっちゅうだったし、何度か借金もしていたはず。
郵便受けに入っていた催促状みたいなものを何度か見かけたこともあるし、祖父母がお金絡みのことで父の行動を謝りに家に来ていたことだってある。
書き出したら父の黒歴史が多すぎる(笑)
父はお金だけじゃなく人間関係もなぁなぁで、その話はストレートにここで書けやしない。あえて書くとするなら、父はかっこよかった。(今でも年齢の割にはかっこいいと思う)
背も高くてスラッとしてて、見た目も世間で言ったら「かっこいい」の部類に入る。勉強はできないけどスポーツはできて、クラスに1人2人いるようなモテる男の子タイプ。
そんな父だから、父親になってもまぁいろいろありましたね。。(それも子どもながらに知っているし、母に「離婚してもいいんだよ」って言ったこともある)
決して子煩悩でもなかったし、父は休みの日に「ソファーで寝ている人」もしくは「パチンコにいく人」ってキャラ設定。父と遊んだ記憶もそんなにない。全くないわけではもちろんないけれど、まぁない。
だから、母はとても苦労したと思う。
私が学校にいくよりも早く家を出て仕事に行き、帰ってくるのは20時頃だった母。きっと毎日クタクタだったはず。働きながら子育てをしている今だからこそ、その大変さが本当によく分かるし、想像しただけで私には到底真似できないしそんな生活したくもない。
今ほど共働きも多くなかった時代だったのに、それでもそんなに働かなきゃいけなかった。父がお金をパアッと使っちゃうから。
休みの日には「洗濯物畳み大会だよー」なんて言われて3人で溜まりにたまった洗濯物の山を畳んだ記憶もすごく残ってる。畳んだら母はおこづかいをくれたけど、今思えば私たちも家事の戦力だったんだなぁ。
父は休みでも寝ているし、起きたと思えばパチンコにいくし。
「余裕がなかったの」
その一言に母の今までが全部が詰まっているのを感じた。
それでも、母は今も父と一緒にいる。
私も妹も、「いろいろあったけど、まぁこれでよかったな」って笑って振り返られる。
私たち(私と妹)は、子どもの頃にしてほしかったことを自分の子どもにしてあげることで、今自分の癒されなかった思いを癒してる最中だから。
「私、娘の学校行事全部行ってる!全力で行ってる!!」
妹からよく家族LINEに娘(私からしたら姪っ子)の動画が届く。日常から学校行事の動画まで。この間の持久走の動画なんて
「がんばれーーー!」って妹の声が恥ずかしいくらい入ってた(笑)そのくらい全力で、楽しんでいるのが伝わってきた。
母に来てもらえなくて寂しかった思いが、今の妹を作ってる。そう感じる。
私はどうだろう。
「おかえりなさい」が聞こえない家に帰るのがすごく寂しかったから、私は「子どもの帰りを待つ母」になろうと働き方を模索している最中だ。
働くことが好きだけど、お金も必要だけど、寂しい思いはさせたくないなと思う。だって私が寂しかったから。
してもらえなかったことのせいにせず、原動力にする。
それが私たちにできることだと思ってる。
そして、父も母もなんだかんだお互い好き合ってる。いろいろあったけど、辛い時期もあったけど、それでも今がしあわせらしい。
「なんだかんだ」
この言葉がぴったり。
そう思った父と母の手に、
指輪がないことに気づいた。
父「この間ママ(母)が具合悪くなって救急車で運ばれて。検査するときに指輪を外さなきゃいけなくなったんだけどさ、」
母「抜けなかったの~(笑)先生から『指輪切ってもいいですか?』って聞かれたんだけど絶対に嫌だったから、イヤです言ったらすんごく困らせちゃって~(笑)」
母はケラケラ笑ってる(笑)
ていうか、この話も初耳なんですけど、、!
(心配させると思って内緒にしてたらしい)
母「それで、石鹸使ってなんとか外してもらったんだけど、もう入らなくなっちゃって」
父「だから俺も指輪外して一緒に捨てちゃった(どや顔)」
なんだかんだ仲良しなのだ。
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