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勝つとは
2021.6.30 wed
人生は有限だ。
人それぞれ生きる意味や人生観は違う。その中で、組織の一員になることは避けられない。そして、勝負すべき局面は何度も来る。そんな時、必ず勝敗という結果が提示される。多くの人はその結果に踊らされてしまう。だからこそ、目の前の勝利というものについて少し深く考えてみたい。
勝利とは何なのか。勝つとは何なのか。
伝統的な日本の武道は、勝利を目的として行われない。武道とは、稽古や練習を通して、人格形成を目的とするものである。そのため、サッカーや野球などのスポーツのように、相手を打ち負かした際にガッツポーズを取ったり、喜びの声を上げることは武道の精神に反する行為となる。
つまり、武道は目の前の相手に対してではなく、己の弱さ、未熟さ、穢れなどを真の敵と捉え、それらに勝つ、すなわち己の弱さや欲望に打ち勝つことを目的とされている。それを達成したものを、真の勝利者と呼ぶ。
だからこそ武道は、礼に始まり、礼に終わる。相手への尊敬がそこには存在しているからだ。
Mr.Childrenの桜井和寿は、
「今より前に進むためには、争いを避けて通れない」
(Tomorrow Never Know)
と詩っているし、
尾崎豊も
「僕が僕であるために勝ち続けないといけない」(僕が僕であるために)
と言っている。
どちらの歌詞も、争いがあることに対しては肯定しているが、
敵=他人ではなく、敵=自分と捉えている
勝利という結果を求めてしまうことこそ、人間の弱さであり、人間の欲望なのかもしれない。結果に執着してしまうということは、自分との戦いをおろそかにしてしまっている可能性があるのではないだろうか。
しかし、私たちの人生には、受験や就活など、結果としての勝利を求められる機会が非常に多い。そうすると、他人との戦いを意識してしまい、自己の人格形成が目的ではなくなってしまう恐れがある。そうなってしまうと、「結果としての勝利」はさらに遠のいてしまうだろう。
「結果としての勝利」を手に入れたいと心から思っているのなら、己の弱さや欲望と戦い、自らの精神を鍛えることが、遠いようで実は確実な方法なのかもしれない。