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#118「無意識に辞めてきたこと」

連日の睡眠不足は身体に堪える。脳疲労が酷く、タスクに集中できていない一日だった。ストレスによる影響も大きいのだと思うが、それ以上に睡眠不足による負の連鎖を感じている。

ここ2、3日は脳の奥の方がドーンとしていて、思考が鈍い。noteを書こうとしてもいつものようにアイデアが出てこない。この感覚はなんだかんだ久しぶりの気がしていて、今の自分が休養を求めていることが主観でもわかる状態である。

今週は職場で取引先の方と話すことが多かったり、お昼休みに中途社員の方とご一緒することが続いていて、コミュニケーションを取る時間が増えている。一人で黙々と作業をしたい私にとって、この時間が増えることはストレスが発生するため、脳疲労も大きくなる。睡眠を十分に取れば良くなることは分かっているけれども、こうなってしまった以上、このまま負の感情を吐き出してしまおうかと考える自分もいる。

理性的な鎖が外れ、ただ本能に従って行動をする。そこには他人への思いやりなんてものは存在せず、自らの感情を満たすためだけに行動をするだけ。いわゆる自己中心的な行動とはこのことだろう。そんな自暴自棄になりそうな今日のなかで、少し心が揺れ動いた出来事がある。パートナーの方とのお話のなかで、「サッカーノートは書いてますか。」という問いをされた。

小学生の頃、コーチに書いてこいと言われてから始めたサッカーノート。小学4年生くらいから始めたノートも、最後の最後、卒業するまで続けていたのは自分ともう一人いるかいないかくらいになっていた。あの時書いていたノートは、どこに保管していただろう。今週末に探してみようかと思う。話が逸れたが、中学、高校でもサッカーノートは自分なりに書き続けていたのだが、最近はサッカーをしているにも関わらず、書いていないことにふと気付かされた。大学生の頃もメモ程度には書いていたので、どうやら社会人になってから書くのをやめてしまったようだ。

その方が言うに、サッカーの魅力は空間認知能力や全体を観る必要がある点とのこと。学生時代に野球をしていた人からすると、野球とサッカーは全く異なるスポーツで、サッカーの方が見ていて面白いのだそうだ。

そして、サッカーで必要な空間や全体を把握する能力は、社会に出ても大いに役立つのだそう。人の配置はもちろんだが、プロジェクトの進行度合いなども俯瞰して観る必要があるからだ。

疲労困憊の一日の中で、ずっとサッカーノートという言葉が頭の中でこだましているのを感じて過ごしていた。サッカーノートだけでなく、社会人になってから無意識にやめてしまっていることが他にもあるのではないか。辞めた理由が社会人だからというものであれば、今一度見直してみるのも必要なのかもしれない。

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