今日が最後だと思え
2022.3.11 Fri
サッカーを思いっきりプレーできるのは今日が最後かもしれない。
そんな気持ちで毎回のサッカーに臨もうと思う。
社会人になれば、サッカーが最優先ではなくなってしまう。いつどんな形で終わりを迎えるかなんて誰にも分からない。
明日、怪我をしてしまうかもしれない。
交通事故に合うかもしれない。
病気になるかもしれない。
仕事的にサッカーをする機会がなくなってしまうかもしれない。
色んな可能生がある。
つまり、今こうしてサッカーを当たり前のようにプレー出来ていることは、本当に当たり前のことではない。
グラウンドがあること。
チームメイトや監督、スタッフに対戦相手がいること。
争うことなく、今日もサッカーに熱中できる環境があること。
健康な身体で生活出来ていること。
すべて当たり前ではない。奇跡の連続によって今日を生きている。
だからこそいつ終わるかなんて分からない。
わからないからこそ、もし明日からサッカーをプレー出来なくなったとしても後悔しないように、今日を全力で、熱くプレーしたいし、全力でサッカーを愉しみたい。
その日々の積み重ねがきっと成長につながる。
先月、本気でサッカーを引退しようと思っていた。
もうこうやってこのチームで本気になってプレーすることはない。
そう思えたからこそ、かえって吹っ切れてプレーすることができ、ただ夢中でボールを追いかけていた。
それはまるで、小学生の頃に戻ったかのような気分だった。
何も考えず、何にもとらわれず、ただサッカーだけに熱中できる幸せな時間。
そうだ。俺はこれを求めていたんだ。
今までは自分の至らない点にばかり目を向け、常に明日の試合のことや疲労のこと、コンディションのことばかり考えていて、目の前のサッカーに熱中できていなかった。
目の前に最後の瞬間が訪れたことで、気づくことができた。
俺はこの瞬間のためにサッカーを続けてきたし、この時間が好きだからサッカーをしているんだと。
上手くなるためには、しっかり目標を立て、振り返りをしながら自分と向き合っていく必要がある。
それももちろん大事。
でも、それ以上に目の前のサッカーを全力で楽しめないと意味がない。
熱く、全力でフットボールを楽しめているか。
明日があると思っていないだろうか。
今日がサッカー人生最後の日だと思え。
もうサッカーをプレーできなくなる。
そう考えたら、悔いの残らないように全力でプレーするだろう。
それを毎回の時間で発揮しよう。
その先にきっと、自分がサッカーを続けてきた意味がわかる時がくると信じている。