ここには書けることを書きました
Xに、医師の大須賀覚さんがご意見募集というポストが流れました
ほんとうは返信をしたかったのだけれど、まだXに自分が罹患者であることは書いてはおらず
親が罹患していることも書いていないので、返信したかったけれど書かずに返信している皆さんの文章を読んでいました
大須賀先生はとても優しい人を傷つけない文章で、このnoteに自分のことも書いた理由のひとつがnoteでも過去に更新されていて、患者との経験の話がとても灌漑深いものであったから
もうnoteでは更新もないけれど、広い夜空のようなnoteのなかで星屑のひとつがもしかしたら大須賀先生の窓から見える偶然もあるかもしれないと思い、此処に自分は記しておきます
目に触れられなくとも、自身の精神状態の平常を保つこととして、書きたくなったのでという理由だから、であるけれど
大須賀先生の問いかけは以下のとおり
私にとってかけてもらって嬉しかった言葉は担当医師からの言葉2つ
ひとつめは、簡単な腹部手術をした後、2週間後に経過受診に病院に行き、ありがとうございましたと私が感謝を述べ席をたとうとしたら
「それでね」と呼び止められ、席に座ったら「癌が見つかったんですよ」
青天の霹靂、医師もその病院でさえも同じ心境だったと思うのだけれど、そこで私も非常に冷静で、ステージなどを聞いたあと続けて
医師「それでもう一度手術しなければならないんですよ」
私「いつ手術したほうがよいのでしょうか」
医師「なるべくはやく、がよいです」
私「先生はこの症例手術したことありますか」
医師「(カレンダー見ながら)ありますよ」
私「最短でいつできますか」
医師「(数えながら)2週間後、ここならできます、ちょっと待ってね」
と、手術室の予定を見て、空いている事確認して、そのままそこで予約をいれてしまった次第
ここで
後日、この病院では私の症例は手術したことがなく、出身大学病院ではあったと医師が白状してくれたということ
でも、嘘でも手術したことがあると言ってくれたことは、嬉しかった言葉だったし、あとで白状してくれたお人柄にも優しさを私は感じていて、嬉しかった
のでした。幸いにしてステージ2B、リンパ節転移なし、経過観察となりました。
もうひとつは
追加手術が終わり、経過観察を3ヶ月に一度して、CEAなどの値の説明とともに、折れ線グラフを手書きで書いてくれ
「正常値があるでしょう、ここをチェックしていって、もしもあがっても下がることがあるから、様子をみていって、で、こうやって(線を右上がりにあげて書いていき)
もしもこの上の数値が続くようになったら、、そうしたら、その時また考えればいいでしょ、だから今は大丈夫です」
と、
その時も、なんだか魔術にかけられてように、大丈夫なんだという安心感と、まぁなんてあっさりしているんだという呆れ感と、おもわず笑ってしまった自分でした。
もちろん、その後、とても心配になり、いろいろ医師には黙って調べたり、不安の沼に落ちたりもしましたが
ふりかえると、この潔い言いようは私にとって、優しい嬉しい言葉になっていると、今も思うのでした。
腹痛から吐いたりして延べ2年もたち、最後は自分で切ってくださいと頼み手術したら癌だったので、正直、わからなかったり予想もしなかった医師や病院と考えると嬉しいなどという言葉は当てはまらないとは思うけれど
それとこれは別、自分にとって、目の前の言葉がやはり嬉しいと感じれば、その他は別にどうでもいいやと、いう感じなのでした
親については、親が嬉しかったというのか、安心した言葉として
血液検査が急激におかしくなり、急遽チューブを通す処置をした後、
親「なにが私にあったの?」
私「おなかに腫瘍ができていて、管をつまらせてしまっていたから処置したの」
親「悪いものかしらねぇ」
私「私とおんなじ、別におなかのなかにあっても大きくならなければ大丈夫よ」
親「あらぁ、あなたと同じ、なら大丈夫ね」
と、とても嬉しそうに言いました。
そして今も、あなたと同じお腹のなかに悪いものあるけれど、大丈夫だと言ってくれるので、親にとって、嬉しい言葉であったと思います。
ここまで書いてきて、つまり
今は、告知するのが当たり前とか、事実をきちんと伝える事が大切と言いますが
私はすこし違うような気がしています
すくなくとも私の場合は、最後まで楽観的に話してくれると嬉しいのかもしれません
嬉しい言葉なのかもしれません
でした
ただ、最近前のnote記事にも書いたけれど、10年生存率の最近の英語版論文データを見つけてしまい
ほとんどが腹膜播種となっているのを見てしまい、かなり落ち込んでもいるのですが
手術をしてくれた医師は転勤でもういなく、今の主治医の前では元気はつらつ陽気に振舞っているので
なんとなく心と身体がバラバラな状態で毎日過ごしていますが
なるようになる、偶然見つかり命つながってここまできたので、もう特に思い残す事もなし、せめて親が生きている間は自分が元気でいたいけれど、親の症状もあまり長い生存期間データ記録はなく、
なるようになりますし、一喜一憂してもいけない
なんて思いながら、他の星に紛れて自分も必死にぴっかぴっか瞬いているのでした
ということでした
嬉しい言葉、友達が心配してがんばってねと送ってくれたメッセージカードや、いまは皆だれもが癌になるから、とか、大丈夫だよ、と言ってくれる言葉は全部嬉しいというか、嬉しいよりも有難い言葉であるけれど
やっぱり私は医師からの言葉、が、一番左右されるのかなあと思います。
ちなみに、絶対に嫌だと思った言葉は、やっぱり医師から
研修医、あの人は絶対に私許さないって、いうのもありましたが、嫌な事を書くと絶対自分にまた返ってくると信じているので、自分のなかで納めます