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かゆい

一人暮らしを開始した2020年9月。

このころから、身体に湿疹ができるようになった。19年間、大人4人と、一匹の猫との、共同生活を送ってきたのだ。反動が身体に出たのだ、と思った。首、頭皮、手首、腕と足の関節の裏。かゆみを訴える場所は季節とともに移り変わったが、途切れることはなかった。

爪で皮膚をこする・けづるのは、かゆみを止める手段として適切ではない。傷跡として残るかもしれないし、周囲を不快にさせる。上皮が削れた皮膚からは細菌が入り込み、炎症が起これば、さらにかゆみを増大させるかもしれない。

けれど、かゆいところを掻くと、時にこれ以上ない快感が得られる。周囲にヒトがいる状況、駅や教室、オフィスで我慢し、蓄積された痒みを、痛みで相殺した瞬間。このときの感じは、空腹の時のマクドナルド、真夏のジュース、帰ってすぐの風呂に相当すると思う。

快感にあらがおうとする気概は私にはないので、かゆみの勢力は気ままに範囲を広げたり、場所を変えたりしている。

どうして、かゆいところに手が届くと、快感を感じるのだろうか。この「どうして」には、どのようにできて(発生)、どうやって(メカニズム)、いつから(系統起源)、どんな意味があって(進化)が凝縮されている。

特に興味が深いのは、どんな意味があるかだな。前に書いた通り、身体には、孫の手って良くない気がするのだけど。

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