父性の欠失を、不幸が補っている

現代社会には父性が足りない、って話はさ、よくわかるんだよね。

で、父性の代わりを成しているのが、外的環境からの辛い経験なんじゃないかな、と思うんだよな。

父性ってのは、お前は今のままじゃダメだ、もっと頑張れ、とか、もっとこうしろ、っていう、ある種の啓蒙主義とか、押し付けである。

まあそれは、子供のためを思って、って前提の上に行われることだけど。

で、今って、そういう父親とか、そもそもそういう大人がいないよね、と。

お前そんなんじゃダメだ、もっとこうしろ、みたいなさ。

それよりも、君の好きなようにしたらいいよ、とか、そっちが多いなと。

でも、外的な環境からの辛いことってのは、それを許さないよね。

自分のここがダメだったから、こういう酷い結果が起こった。

だから、なんとか変わらなきゃいけない、ってのが、俺が今言ってることね。

つまり、自分は今のままじゃダメで、どうにか変わらなきゃいけない。

その、自分を否定してくれる人がいなくなり。

その代わりに、現実的な結果として、自分を否定される経験が機能していると。

ただこれって、程度に差があるので。

辛い経験をする人もいるし、そういう経験があまりない、って人もいるし。

これは、めっちゃランダムだと思うんだよな。

どっちがいいとか悪い、ってことでもないのかもしれないが。

まあただ、その辛い経験から、立ち直るためには、母性も必要であって。

そこがないってのは、それはあまりにも酷いよね、というのが、俺の基本的な価値観なんだろうな。

だから、そこをなんとかしたい、と。

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