自分の信条のために頑張れるなら、人と競争しなくていいよ

競争が大事ってのはそうなんです。

そうなんですが、でも、歴史を変えるような人たちってのは、他者との競争はしてないわけですね。

キリスト教の最大の伝道師のパウロは、すごい頑張ってキリスト教を布教してたけど、別に彼はセールスマンみたいに、誰かと布教人数を競ってたわけじゃない。

明治維新の中心を担った下級武士たちにしても、彼らは自分の藩を抜けてまで明治維新に尽くしたけど、それは別に誰かと競争してたわけじゃない。

資本主義を産んだプロテスタントってのは、死に物狂いで金を稼いだけど、でも別に誰かと競争してたわけじゃない。

彼らに共通するのは、自分の使命を認識して、そのために切羽詰まってたってことね。

パウロだったら、神の国がすぐに来るから、それまでにキリスト教をなるべく多くの人に伝えて信じてもらって、そうやってなるべく多くの人を救いたいって思いでやっていた。

下級武士にしても、外敵から天皇を守るため、ってところで頑張っていた。別に武士同士で競争してたわけじゃない。

プロテスタントにしても、神の栄光を増すため、ってことでビジネスをガンガンにやって、利益が出たらその分、神のためになった、って喜んでいた。

つまり?

本当にすごい人たちってのは、別に他者と競争しよう、と思ってない。

それよりも、自分には世界から与えられた、やるべきことがある。

そして自分はそれをやるための一つの駒に過ぎない。

自分は、その役割を全身全霊で務める。

これが本当にすごい人たちの考え方だし、そこには、誰かと競って勝ち負け、とかそういう発想がない。

そうじゃなくて、ただひたすらに、自分に与えられた目的を達成するために全力を尽くす。

そういう、これって打ち込めて、頑張れるものがあれば、他人との競争なんて全然しなくていいんです。

でも、もしもそうやって打ち込めるものがないなら、とりあえずその場しのぎというか次善策として、競争させるとみんな頑張るよ、っていうね。

俺は俺の大切な人たちを幸せにするために生きてるし、そのために俺の命の全部を燃やしたい。

そのために、疲れてようが、体調が悪かろうが、頑張って先に進みたい。

俺の全部を燃やして、大切な人たちに捧げたい。

と思ってるので、別に俺は人と競争しよう、って感覚があんまない。

結構ギラギラしてる人から、俺のこと追い抜かないでくださいね、とか言われると、怖いし、いや知らないよそんなの、と思う。

疲れた?そうかもな。でもな、俺は俺のために生きてるわけじゃないからな。あんなお菓子如きでいちいちお礼を言わせてちゃダメだろ。

もっと幸せにしないと。もっと俺はやらないと。そのために生きないと。

それぞれの人が、それぞれ神とか世界から与えられた目的を果たせばいいと思うけど、俺の目的は俺の大切な人を幸せな状態にキープすることなんだよ。そのために生きてる。

なるべく多くの人を大切と思って、なるべく多くの人を幸せな状態で保つこと。それが俺の生きてる意味だから。

俺が疲れたとかは、どうだっていい。

そんなこと、優先順位で言ったらだいぶ下だよ。


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