奇跡の今生天皇 どれだけ愚かで牙を剥かれようとも、命を賭して尽くしなさい

アメリカは日本に自分の軍隊を置いて日本を守る代わりに、対日本軍事費を出さなくて済んでいる。その意味で安上がりである。

これは結構面白い問題で、つまり、選択肢ってのは常にいい面と悪い面があって、現行の精度を変えるにしても、それがどういう役割を持っているのか、ってことをきちんと把握しないと外れるぞ。選択肢を複数出した上て、一回全部の全体を見て、重要な観点を見落とさないようにしないと。

敗戦した時の政治トップってのは、大抵殺されるか自殺する。ヒトラーは自殺したし、負けかけた時に軍のトップはヒトラーの命令を無視して降伏とかガンガンやってた。ムッソリーニに関しても民衆にボロクソやられて殺されてるし。電柱に吊るされてなかったか。中国でも、反乱が起こって皇帝が虐殺されるなんて普通である。

でも、日本だけがそうじゃない。日本の場合は、というか天皇の場合には、まず天皇が戦争をやめろって言った瞬間に軍がそれに完全に従った。さらに、結局天皇制は、敗戦したのにも関わらず、そしてアメリカ世論が天皇制の廃止を非常に強く求めていて、アメリカの政治判断に対して世論の影響はめちゃくちゃでかいにも関わらず、保持された。戦争で負けたのに政治のトップが死なない、ましてや虐殺もされない、なんら権力を失わないなんて、ああそれは人間宣言したから嘘か、にしても天皇制は残って、そんなことは歴史上あり得ない。類例がない。

天皇制ってのはすごいが、それは明治維新のタイミングで生まれた、ってか定着し直したものである。ってのも、基本的に、軍事行動で天皇の軍が勝った、ってことで天皇すごいってなる。で、元寇以来、江戸時代とか日清日露まで対外戦争を日本はしてないので、その間に将軍が前に出て、その後ろの天皇ってのは存在感が薄い、ってか忘れられていた。

だから、江戸時代とか、東京でも京都でも天皇の世話になんてなったことがない、みたいな歌があったりした。でも、日清日露で勝てると思ってなかった両国に日本は勝ち、それがすごいってことで天皇万歳、となったと。天皇がすごいってイデオロギーは、江戸時代とかにおいて武士とか金持ちの間ではあったけど、民衆は文字読めないし、全然天皇なんてどうでもいい、と思っていた。

勝てるわけないロシアに勝てた。それは、日本に都合のいいことが起こりまくったからである。めっちゃラッキーだったからである。なので、日本は神の国、天皇は神の子孫である、ってことを民衆が感じ始めたと。

健康でかつ、いい顔をしている。精悍である。合目的的に生きている人間はね。

結局俺のイデオロギーは、小室さんに端を発しているし、それを強めることは、なんら俺が周りの人を助ける、あるいは進んで人間幸福に貢献する、ということを阻害しない、というか、それにを増進するものである。であるからこそ、信じてやりなさい。一回決めたことでしょう。必要だと判断したことでしょう。やってみなさい。

やっぱ、合目的的な人間には、一種の鋭さがあるよな。ああこの人は、目的に向かって無駄を廃して進んでる人だな、ってのがわかる。かっこいいし、厳しいよな。峻厳としている。

カリスマ論をやっていて、これは結構面白い。

愛するに値しない人を愛するのが真の愛として、信じるに値しない人を信じるのが真の信であると。たとえ結果が出なくても、自分が奇跡を起こして救えばいい、をやったんだよな天皇は。えぐい。

天皇が開戦を辞めさせなかったのは、一つは立憲君主制の保存のため。もう一つは、国民の判断を信じたため。信じられたいなら先に信じろ。

神の栄光を増すために、各人に神の栄光あれ。そして、一貫性が無い奴は信じなくていい。キレていい。まあその意味では、いいやつを取れと。

神の栄光を各人が増せ。これに尽きる。

今上天皇は運が抜群によかった。運の良さは実力である。俺は運がいい。

一回これが国のためになると決めたら、暗殺されるかもしれないと分かっていても、国民からの非難が轟々でも、それを貫け。日露で勝ちまくった時に、それ以上にロシアと戦争をしても意味がないから、控えめな講和条約で終わろう、と最高指導者は判断した。だから、朝鮮と満州の南だけの講和条約を呑むことにした。

これに対して国民は非難轟々で、こんなに戦闘で勝ってるんだから、もっといい条件で講和しろ、そんな屈辱的な講和条約を結ぶなんて恥だ、って暴動が起こり、交番とか電車が焼き討ちされた。ロシアと講和条約を結んで帰ってきた小村さんが暗殺されるだろう、ってのはみんな噂していた。で、小村さんが帰ってきて電車から品川駅に降りた時、元老の伊藤博文と総理大臣の桂太郎は、抱き抱えるように左右から小村の腕をとった。すぐにでも暗殺者から銃弾が飛んでくるであろう、ってのは二人とも分かってて、でも国のために俺たちはやったんだ、だから小村が死ぬなら俺たちも死のう、そういう意図を持って行われたことであった。

守りたい人がいるなら、その人がどれだけ愚かだろうとも、こちらに牙を剥こうとも、その人のために尽くすことに命をかけなさい。それは、生死よりも重要なことで、尊いことである。

あー、これは本当にかっこいいな。これはかっこいいわ。愛する価値のない人たちを、それでも愛する、って。これはかっこいいわ。大切にした人たちから牙を剥かれようとも、その人たちから殺されると分かってても、その人たちのために尽くすと。これは、俺の一つの理想形だな。

日本における空気の支配は重い。しかし、それでも、自分は反対だったけどみんなが賛成って言うから開戦に賛成した、という人間は、軽率で無責任である。人のために自分を献することに、かくも無責任でいられるか。

大局を見て、守りたい人のためを思って、いかに罵られようと、いかに牙を剥かれようと、命を奪われようと、それでもその人たちのために尽くす。これができなくて、何が政治家か。人としての格が低いよ。

大切な人のことを思うなら、先の先まで見通して、その人のためになることをやりなさい。たとえ牙を剥かれても、それでも。その人がそうしたいならいいや、なんて弁解も判断も、無責任だ。

大切な人のための重要な判断は、これを絶対に譲歩するな。人でありたいなら。

乃木はまあいい人だけど、捕虜をダメって言ったのは良くないな。うーん。死なずして役に立てよ。

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