イシューからはじめよ すごいいい本。濃すぎて理解し切れない
要約
この本の三種の神器は、
①どんどん手を抜いて60%でアウトプットを終わらせて次行け。
②ざっくり何したいのか書いて、細分化して、解決策を書いて、その表ができてから作業。
③一次情報がインプットの本質。それができないからネットリサーチする。
これを覚えて使えるようになれば、いいんじゃない?いい感じだと思う。
いっつも、イシューより、って書いちゃうんだよな。謎に。
昔読んで、このおっさん嫌いだわ、と思った印象しかない。が、まあ、歳とるとね、変わってくるから。
悩むのは、答えが出ない前提にぐるぐる概念を回ること。考えるふりをすること。考えるは、答えが出る前提で建設的に考えを組み立てること。まようは、どこに向かって考えてんの?が明確じゃないで頭を回しても、駄犬みたいにその場をクルクル回るだけ、っていうね。そうじゃなくて、アウトプットを前提に思考しろと。あい。
ああそうだね、この本読んで、思考の設計ができてない思考を悩むっていうんだな、設計のもとに思考を走らせるのが考えるなんだな、とわかった。そういうことだね。
仕事を早く終わらせる、とか、投下時間を増やす、ってのは、間違ってない。特に最初はね。でもその中で同時に、何をやるべきなのか?をきちんと見定めないと、見極めないと、無駄なことをいくらやっても無駄。リソースを投下する意味がない。し、仕事をこなす速度はどんだけ仕事早い人でも大して変わらない。要は、時間投下、とか、仕事を早く、とかって焦っても無駄で、やるべきことを厳選して、そこに落ち着いて取り組め、ってこと。
俺の論理性をサブとして常時フル稼働させないなんて、さぞかし優秀なセンスなんだろうなあ?というね。あでも、この文章はセンス悪そうだな。
センスで考えると、すぐパッとわかるか、わからん!ってぶん投げるかのどっちか。そしたら、論理とかフレームを使って解いてあげればいい。なる。
ニュージーのダニエルと俺の大学の友達は似ているか?センスは全然違うっていう。論理は似てるっていう。なので、センスで判断できるのは、説明責任がないもの。ぱっと見で判断できる、とか、あるいはなんとなく判断して説明がつかない、とか。で、論理は完全説明責任がある判断になる。こうだからこうしました、こう考えました、っていう。
説明責任があるものは、論理がいいんじゃない?でも、何に説明責任があるの?そこはセンスかなあ。瓦解。みたいな。
どんだけたくさんやろうと、無駄な仕事を積み重ねても無駄。成長もない。重要なのは、賢い人のやり方を取り込むこと。重要な概念を理解すること。それ以外のことをいくらやったって成長は無い。無駄。
焦らない。根性に逃げない。やるべきことを絞り込んで、理解して、確実に遂行してくだけ。
アウトプットが良ければいいし、それができるなら仕事で手を抜いていい。どんどん抜け。無理にやらないで人に聞いて済むならどんどん聞け。自分で頑張って頑張った気になるな。アウトプットが良ければいいし、悪ければ駄目。それだけだから。労働時間も頑張りもいらない。どうでもいい。長くても短くても、頑張っても頑張らなくても、どうでもいい。アウトプットを良くすることだけを考えて働いてなさい。
そのためには、やるべきことを絞りなよ?っていうね。
何が重要か、ってのは、やってみる前とか、経験が浅い段階じゃ全くわからない。わかった気になる、がせいぜいである。だから、人に頼らないと、本当に生産性落ちるよ。わかってるだろ。うんだから、そこの改善を今日からしてたんじゃん。でどうだった?うんよかったよ。
重要指標でさえ俺が読み間違えるんだから、まず俺が1人で頑張ってもいいことはない。その意味で、脳死でコミュニケーションは必須。俺の頭半分、人の頭半分。重要なのは、人の頭を毎回その都度飲み込むってことな。人の頭をインポートするんだよ。その連続で成長するしかない。
1日2回日報書いてもよい。
こうなんじゃね?って仮説を言語化してから作業しないと、なんの作業してるのかわからなくなる。こうなんじゃね?をサポートするのか、否定するのか。アウトプットのための思考は科学だから。こうなんじゃね?とその検証。
仮説は、選択仮説がベスト。なぜか?とか言われても抽象度がわからんからごった返す。答えの妥協もない。抽象度が上下にいくらでもスライドするから。aかbで、aじゃないか、だったら調べたり考えようがある。から、選択仮説で入れ。どうやるか、とかでもいい。それはまだ選択肢の問題になるから、選択肢の選択に入れる。選択仮説に非常に近い。
どうするか、とか、なぜか、みたいな問題設定は終わりがないから、とにかく選択肢の選択にすぐ入るもの。それがいい仮説である。ただ、無理に筋が悪い選択肢を作っても仕方ないので、最初ちょろっと調べてから仮説立てる、とかでもいいよ。
選択肢の中でこれがいい、って仮説が有用。近場と遠出どっちがいいか、とか。
重要なイシュー、つまり課題とか仕事に絞れと。で重要ってのは、それが決まらないと他が動けない、ってものである。ネックとか、前提とか。かつ、答えが出せないといけない。人間存在の意味は、とか問われても、答え出ねえから。
イシューの主語が動くなら、それはもうちょい具体化できるはず、と。
常識を覆すものが、1番価値がある。ま、あればね。
めっちゃ仕事できる人は、社内もそうだけど、社外のユーザーとか専門家にすぐ電話かけて会いに行く。
一次情報大事だけど、でも同時に、業界全体をざっくり知る、ってのも大事である。何が問題なのか、とかね。知らないと話にならない、って数字とか課題感、歴史を知る。その上で俺の頭を使うと。
知り過ぎは、そんな気にしなくていい。俺はそんなバカじゃ無い。が、集め過ぎ、というか、情報収集の効率は途中から落ちるので、そしたらやめろと。ある程度知ると、新しいこと知るためのコストが跳ねるんだよな。だから、そうなったらもういいよと。
ざっくり知らないと話にならないレベルの知識を知り、自分で実際に使ってみて、ユーザーの声も聞いた。その上で仮説立てようねと。
人間は、グラフと数にされると、わかってなくてもわかった気になる。
仕事って、仕える事、だもんな。人のためだわはなから。
分析は、比較すること。比べること。分けること、だと少し不十分で、分けて、比べること。これが分析。せやな。
仕事ってのは、限られた時間の中でどんだけいいアウトプットを出すか、質と量ともにね。なので、時間がない、時間が限られてる、なんてのは前提で、その上で何をやるかをよく考えて、良いものを出せと。それはビジネスの基本と同じで、良い課題に取り組まないと、間違ったものに向かって進んで総崩れになったら、時間の無駄でしかない。ませやな。焦るな、時間がないことはわかってる、って感じやな。
これ考えることに時間使って良いのか?ってのはよく考えないと、思考も時間も労力も無駄になる、ってのは経験あるし、それを止めるためには、目的を見据えて、まあ、カラパッケまで作れと。調べ物する前に、これ調べて意味あるの?は考えたほうがいいよなあ。意味があるのではないか、無いのではないか、で仮説立てて、そこの検証から、って感じだな。これ行っていいのかダメなのか、それをまず判断しようねと。
一定の時間でいいアウトプットを出す、という前提に立てば、計画とか段取りは必ず必要だよねと。そりゃそうだよな。いつまで?を決めるところからだろう。それをやらないと、時間がズルズル溶ける。でもさ、大事なことから最速で頑張る、はダメなの?
アウトプットが一つならそれでいい。が、並行するならそれだとまずい。料理するときに、にんじん切ることだけ集中するよりも、オーブンあっためとくためにスイッチ入れる、とか、全体を構成することで効率上がることあるでしょう?
サッカーだったら、目の前の1対一を頑張る、は大事だし前提だけど、それをずーっとやってもしょうがなくて、ここは追わない、とか、こうやってボールを取る、とか、リソースを配分して最大化を目指すと。
その意味で、組織することで無駄を出さない、ってのが構成の価値だし、その上で一つ一つ頑張るは当たり前です。
無駄を出さないために、ざっくり計画すると。
他人の力を使える、というのは一つの個人的なスキル、能力である。
定量ってのは要は、言語ツールなのよな。主観で仕事していいけど、それを人に伝えるためには、こう思う!、だと、そう思わない!、って返されたら話が終わる。だから、こう思う!定量的にみてもそうっぽくない?って持っていって、そう思わないけど、データ見たら、ああまあ確かにそうかもね、をやれと。
一個の分析をめっちゃちゃんとやらなくていい。それよりも、60%くらいで一回アウトプットとして出して、人に当てたりして、またやり直す、ってのをやった方が、完成度が80%になるまで早い。6割できたら一回終わり、をくるくるやると、完全目指してコツコツ頑張るよりも早く、最終的なアウトプットの品質が上がると。
基本的な考え方として、自分で作り込んで100%を目指そう、じゃなくて、60%でいいからアウトプットを終わらせて、壁当てとか検証とか、これで良いのか?を細かく確認しつつやってけと。そりゃそう。
データがぼやけてるなと思ったら、軸が悪い。上手く抽出できてないので、場面とか、なんかもっと強弱が明確になる軸で分解しろと。
悪くないんだけど、論理体系が別すぎて、丸呑みできない感じはするんだよな。俺の中にイシューって言葉はないし、概念もない。から、それを俺の言葉で書き換えなきゃいけないし、それはもうちょい経験がないときついのでは。と思う。良い本だとは思うけど、遠くて俺の知識と接続できない。