コンサル企業 3日目 議論の全体性を把握し続けることが俺の役割だから、部分の議論に加わるな

3daysの3日目。

喋れてない子のケアをしなさい。これを考えられるだけ、俺は余裕があった。議論の中身のケアだけじゃなくて、メンバーの精神的な部分にまでケアを伸ばそうとしていた。

最初俺は資料読んでなかったから喋らなかったけど、ほっとくと議論が勝手にぶっ壊れていくので、それをまとめる、ってポジションに俺が自然につける、という意味では、楽ではある。俺が全体性を規定しないといけない、って状況ではある。

あと、俺だけで筋を判断しなくてよくて、こうしようと思うけど社員さんはどう思いますか?でいいので、すごく楽。俺の正答率ってか筋読みってどうなんだろうね。俺の筋への信頼度合いを確認したい。うーん、まあ、情報がちゃんと入ってるならいいんじゃないでしょうか。だが、重要情報が抜けた上で戦略決定してることがたまにあり、それは結構恐ろしい。

意思決定者が多すぎると進まない、特に意思決定に対して色々言う人が多いときつい。

人の話を聞きなさい。

とりあえず全部聞いて最後にまとめるってのが俺の仕事かもしれない。きっちい、けど、それをまとめるのが仕事だって。

んー、振り返って、いや、それはちょっと違うかも。重要な情報を把握するって意味では大事だが、しかし、俺が他人の議論に巻き込まれて全体性の把握を失ったら、それは致命的になる。その意味で、俺は人の話を聞くことって大事だけど、それは心理的な影響力の部分でもね、しかし、それ以上に、全体性の把握をすること、議論の手綱を握ること、部分性の規定をすることが、俺の最大の仕事である。

まあただ、数字をいじってオッケーって思うなって。

全部考えたらやばい、だから、必要なところだけ考えないとやばい。

てか、数字をとりあえず置こうって考えたが、それだと、ほんとにその数字?ってゆり戻しに勝てない。ぴえん。そうだけどさあ、まあだから、まあだから、その抽象水準なの?ってことよな。まあだが、議論を流すって考えるとそれが楽なんだよな。根本的に考えたらどうなの?ってそんなのまじで直感的な話だからさ。主観の話を始めたら、意思決定者が多すぎる。

話を聞かないで一人で考えてても、話してる内容が結構微妙だから追いつけるって構造があり、流れてるものの価値があまり高くないから、あるいは流れるスピードがそこまで早くないから、とも言える。後者かな。あるいは、フレームで捉えると構造化が楽ですぐ追いつける。上手くやればね。

全体感を見たとして、具体的なことについて考えられてないなっていうね。
全体を途中までは把握してて、どうすればいいって道筋も把握してて、しかし途中で突っ込まれて、道筋が見えなくなり、そうなると全体把握をしてる意味がなくなると。で全体を失った。見失ったから判断がつかなくなった。

俺の中に情報を落として、それが体系的に整理されるまでには結構時間がかかる。時間がかかるってか、ちょっとフリーな時間が欲しい。ちょっとでいいから、一人で集中して考える時間が欲しい。

結局のところ、俺が議論を聞く意味はなくて、議論がガンガン前に進むならそれはそれでいいし、しかし大体そうならないので、つまり議論が頓挫したり混乱するので、それに対して全体性を与えて、これから何をどう話せばいいのかを与えると。

なんだかなあ。途中まではできたし、それで回ってたし、しかし、主観的な判断をしろってところで、うーん。


振り返って、おそらく、まあこれは、全体性を把握して部分性を規定する、ってのが俺の仕事だなと。で、そのためには、情報を俺の中に落として、一人で考えるってことが必要であると。

人の話とか議論を聞くってことは、そんなに大事ではない。それよりも、一人で必要な情報を集めて考えて、その結果として獲得した全体性を議論に還元して、部分性を規定する、ってのが、そしてその結果として議論の効率を上げて、メンバーを立てる、ってのが俺の仕事である。

で、肌感をいうと、正直細部はどうでもいい。ああこれ役員の人も言ってたな。細部はどうでもいい。そこまで把握してられない。むしろそこまで立ち入ると死ぬかも。ていうのは、俺が全体性を失うってことは、チームが全体性を失うってことであり、それは議論が部分の規定を失うってことになる。そうなると、議論は底が抜けて、何を話してるのかわからなくなる。だから俺は、ある種逆説かもしれないけど、部分への知見を失うことが部分性を担保するってことになるのかもしれない。

結論。

俺は部分の議論に参加してはいけない。結論把握だけして。

俺がやるべきことは、全体性を把握し続けること。なぜなら、誰か1人がそれをやってないと、議論の底が抜けて生産性がどこまでも低下するから。部分性が規定されなくなるから。

部分についてよく分かってなくていい。その代わりに、それが全体におけるどの部分なのか、という点については、必ず答えられないといけない。全体の中でその部分はどこなのか、ということは把握しないといけない。

議論の手綱を握るってのは、多分そういうことだ。

全体性を把握しないといけないし、その代償として、部分の詳しさは捨てざるを得ない。が、それでいい。

俺が部分の議論に本腰を入れた瞬間に、それが部分性の規定を失って、一気に全体化する。そうなるともう収拾がつかない。俺の視野が狭窄した瞬間に、完全に議論が迷う。

俺は視野を常に広げていないといけないし、そのためには部分の深い部分を放棄しないといけない。それはトレードオフだから。

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