トランジション ひとまず結論出た
結論、俺の答えは、他にやりたいことも特にないから、だったら、これ面白そうだな、と思うものに、一回腰を据えて努力をブッパしてみる、ってことだった。
家族も友達も幸せそうだし、じゃあ別に俺そんなに今やりたいこともないし。
ただ、起業して人を育てる、ってことはやりたいんだよな。
と考えた時に、じゃあそこ目指してやってみるか、というね。
まだ全然明確な目標はないし、何の分野で起業するのかもわからないし。
でも、起業して人を育てる、ってのは、なんかすごく楽しそうではあるんだよな。
30歳の時点で、自分の会社をある程度安定させて、年収2000~3000万円くらいで、かつ自分の部下を2人くらい、結構な時間を割いて育てる。
そういうことをしたいし、そのために今は、起業周りのことを勉強してる。
かつ、仕事も平日は1日14時間くらいやってる。休日は休日で、大学の委員会の仕事とか、AIの勉強とか。
別に、まあ酒飲んで怠けようと思えば怠けられるし、それが嫌いってことは全然ないんだけど、でもまあ、別にそこまで楽しいかって言われるとどうだろう?
それもいいけど、30歳になった時に、自分の会社があって、年収も3000万くらいあって、尊敬してくれる部下を育てて、ってのが楽しそう。家族も欲しいし。子供2人。犬は、うん欲しいな。でかい犬。
だから、そのために、今は一回時間を割こう、それが楽しい、というね。
逆に言えば、それくらいしか、楽しいことがない、という言い方もできる。
これ結構あるあるだと思うんだよな。
サイバーの藤田さんも、大学時代は何やればいいのかわからなくなって麻雀したり留年したり。麻雀はかなり強かったし、そこはアルバイトも頑張ってた、って言ってたけど。
あるいは、ユニクロの柳井さんも、大学時代は麻雀ばっかやってた、って言ってるし。
基本的に、あんまり生活の中でそこまで強烈に楽しいことがなくて、どれも何となくまあ楽しいような楽しくないような、、
でもまあビジネスはやってみたら楽しいかもしれない、というのが、起業に向いてる人なのでは?
だって、日常生活の中ですごい楽しいと思うことがあったら、それに時間使うでしょ。ゲームでも恋愛でもグルメでもワインでも何でもいいけども。普通に、仕事にそんなに時間を割こうってならないでしょう。
だから、他に楽しいことがないからそれをやってるってだけで、だから、仕事自体が楽しいっていうよりも、仕事をする中で目標に近づいている、って感覚が楽しい、みたいなことになる。
職業自体として何をしたい、とかってことでもなく。
目標に向かって成長するのは楽しい、が、成長になる仕事であれば、営業でもプログラミングでも、まあなんでもいいよ、っていうね。
混乱してる、と言った気がするが、それは本当にそうで。が、構造を理解してなかったね。
人間は、状況とか環境に自分をチューニングしてる。適応してる。で、環境変化が起こると、まあ大抵は、前のやり方が今の環境に合わない、ってことになるから、苦しいのよな。
で、じゃあこの環境に合わせるには?って話になるけど、そもそもルールがわかるまで試行錯誤しないといけないし、環境に適応するまでは適応しないって経験の繰り返しで、混乱と苦痛の連続になる。
だから、前に戻りたい、とも思うし、同時に、早く適応したい、とも思う。この2つを同時に思うのが健全な人間である。
健全な人間でした。
人間は変化していくし、でもそれに認識を合わせるのは結構大変である。ついていくのが大変。だから、よく考える時間を取らないといけないし、試行錯誤して、良くなったと思ったらそうでもなかった、みたいなことも連続することになる。
環境の変化だし、かつ、内的な変化も起こっている。それを俺が把握できてない、って状況で、まあ本を読んだり何かを試すのも良いけど、本を読み、書く、ってことが、常に俺を前進させてきたし、今回もそれが良いんだろうな。
焦って行動するんじゃなくて、トランジションに落ち着いて留まって、何が重要になるのかをよく見極めなさいと。早まった行動は状況を悪化させるよと。
いやそうだよな。それこそ本当に、これまでは他人に価値提供、とかなかった。それが、他人に価値提供をいかにするか、ってルールになり、なんだそれ?ってことな気がするな。
環境が変わるってのは、それまで自分のアイデンティティを、形成していたものから離れる、ってことになりやすい。学生だったら本読んでればよかった、賢そうにしてればよかったのに、社会人になると、実際問題として他人にバリューを出せたか、という話になり、そんなんやったことないしやってこなかった、ってことになる。で、不安定になると。というか、アイデンティティを掴み直すまでの不安な期間に入る。
良い喩えだなと思うんだけど、ロブスターみたいなもんである。古いアイデンティティを脱いだが、まだ皮は柔らかい。だから、岩陰に隠れてしばらくはこっそりとしている。なんかそういうもんな気がするな。環境が変わり、アイデンティティを失い、新しい環境の中で、アイデンティティを模索し、これかなと思ってゆっくり身につけて行く、というね。
それまでの自分の認識が効かなくなった時に、例えば俺なら、賢くて特別、という認識が現実に通用しなくなった時に、それをそのまま理解するか、理解したくないから認識が通用する、というか通用しそうな環境に戻るかの2択であり、戻ると、まあいいけど、物事は進展しない。
環境が変わり、自分自身のアイデンティティが崩れると、物の見方もわからなくなる。それまで持っていた計画とか目標に対する意欲も失う。それは自分自身を見つけるほど十分に迷う、ということであり、混乱と苦痛に耐える期間である。何かをこの時間を耐える中で見つけることを信じて。
単純にその苦痛を、つまり方向感覚を失ってどこに向かうのかもわからず、目的も目標も決まらない、という苦痛を、受け入れて耐え忍ぶか、他のことで気を紛らわせるか、というのは2択ある。気を紛らわせる、というのもできる。現代人の多くはそうするらしい。まあ確かにそうかもな。
最も苦しいのは、新しい何かを見つけるまで、何もない時を過ごさないといけない、ということである。確かにな。
これはどちらかというと、人為的なものよりも自然の秩序に近い。自然によって、人生の段階が決められる。ここから先は、これまでのやり方は通用しない。持っていたものを全部捨てろ。じゃあ何を持てば良いんですか?さあ、それは知らない。これが、トランジションである。
新しい環境に入ったら、昔の価値観とかアイデンティティは一回忘れた方がいい。昔のというか、一つ前の段階の、かな。その上で混乱と暗闇に耐えながら、この新しいステージで自分はどんな存在であり、どんな価値観を持って進んでいくのか、というのを探すと。前の、優秀、できる、みたいなイメージを引っ張ってくるのは、合わないから多分やめた方がいい。無理してる感覚あるよな。無理すんな。
これまで自分が頼ってきた価値観を終わりにする、賢いとか優秀とか、そういう価値観を終わりにすることは、つまり捨てることは、もちろん抵抗があるし、自分が自分ではなくなる、みたいな感覚もある。
だけど、その終わりが最終的な着地点になることはなくて、そこから始まるのである。逆に言えば、新しい環境の中で、あるいは新しいステージの中で、新しい自分を始めるためには、過去の自分のイメージを終わらせて、新しいイメージを構築する必要がある。そういうタイミングが人生には何度かある。そうな。あるね。
単純に、自然の流れに合うから、整理できる、ってことな気もするな。環境変化による混乱はあるし、その中でもがくこともある。ただし、やってるうちに、何かを掴む。それはなんて言うか、環境を理解して、経験して、適合しつつあるってことだとおもうんだよな。そういうことが起こるし、そうやって人間は進んでいくんじゃないかと。急がなくていいけど、でもそういうことな気がするな。
前の環境の自己認識が新しい環境に合わないので、初めは辛いし、元々の認識に縋りつつ、現実を耐えることになる。で、それをやってるうちに、自己認識が間違ってるんだろうな、と思い始めるし、新しい環境でどう動けばいいのか、ということも徐々にわかってくる。
そうすると、要は自己肯定感なんだよな。つまり、こういう環境で、こうやっていけばいいのか、というのが少しわかる、あるいは、こういう構造を通り抜けて、またきっと似た構造に出くわすだろう、ということがわかる。そうなって初めて、この環境で生きていける、この環境を進んでいこう、っていう方向に気持ちが向く気がするんだよな。新しい環境に対しては、やっぱ最初はネガティヴだし、それがポジティブに転換するには、相応の理由が、例えばここでやって行く意味とか、価値を出せる見込みとか、そういうものが必要なんだろうなと。焦らなくていいけどね。
事実レベルでの終わりとはじまりに対して、心理的にその変化を受容する期間がある。それは前後したり重なったりする。まあそれはそうな。
状況はコロコロ変わるが、それに合わせて人間もコロコロ変われる、と思ったところに間違いがある。そんな簡単には変われないし、時間がかかるし。
何かを本当に求めるには、何を求めてるんだろうって迷いながら苦しむ期間が必要な気がする。
迷う時は、何かがまた始まるというよりも、再び生まれる、くらいの言い方の方が適切である。何かが再開されるわけではなくて、俺が新しく生まれ変わるのである。そうだと思うよ。
強い動機は、深い内的な願望と結びつく。で、深い内的な願望ってのは、そう明確に表れてはくれない。静かな場所で、時間をかけて探る必要がある。とにかく目標を立てたり行動すればいい、ってものではないんだろうな、きっと。やりながらわかってくる、ってものな気がする。
外的環境が良くなったり悪くなったり、でもそれは本質的な変化ではない。それに対する内的で時間のかかる変化が重要である。
外的環境の変化が激しい中で、人間の内面はそう簡単には変わらない。従って基本的には、常にトランジションは起こってると考えていい。どのくらい心が痛むか、と言うのは場合によるけど。というか、変化のスピードはおそらく一定ではないし、環境と内的イメージが思いっきりぶつかり合う方が変化を求める力は強かったりするので、その辺りのことはあるかもしれない。
そう、変わりたいのも事実だし、変わりたくないのも事実である。