どうやったら自分は頑張れるのか、を考える
大学でレポート書いて、まあまあだったからこっちに転載する。もう大学のレポートは出したから、こっちに載せてもいいと思うんだけどな。
スキルとか技術云々よりも、動機を、つまり自分はどうしたら行動するのかってメカニズムを自分で把握してることが大事じゃない?っていう話。
英語が話せた方がいいです、プログラミングも大事です、わかってるけど、やんないじゃん?なんで?って話よ。
こうやったら自分は努力するんだ!ってことがわかったら、それってめっちゃ強くね、っていう。
そのためには書きまくれ、って言う。昔書けって書いたな。同じことを言ってるわ。絵とか音楽とかでもいいよと。書くこと、あるいは芸術。てか表現。
要は、自分が何考えてるのかをアウトプットして、それをメタ認知する、と言うか理解するってのが大事だと思うんだよな。
たくましい知性にしても、しなやかな感性にしても、技能、換言するとスキルの話であるように思う。もちろん、スキルは重要だし、それに関する研究も重要である。しかし、結局のところ人間の能力は一朝一夕には向上しないし、毎日の小さな努力を積み重ねる以外に大きな能力を手にする方法は無いように思う。
そう考えると、では、何が日々の努力をドライブするのか、人間に日常の中で小さな努力を重ねさせる力はなんなのか、という部分が議論の焦点になる。
そしてその答えは、個々人が自分を理解して明確な動機を持つことではないか。自分の行動原理を明確に言語化し、明確に自己認識している。であるが故に、日々の中で弱い自分を押さえ、小さな努力、挑戦を重ねることができる。
逆に言えば、いかにスキルを伸ばすポテンシャルがあったとしても、日々の中で自分がどうしたら行動するのかを把握した上での継続的かつ自覚的な努力がなければ、努力を供給されなかった才能が潰えるように、結局は大きな技能を持つにも、社会で活躍するにも至らないと思う。
では、いったいどのようにして自分の動機を明確にすればいいのか。自分がどうしたら行動するのかをどう把握すればいいのか。
これに関しては、やり方はさまざまあるが、一番は日々継続的に自分の思考を言語化していくことだと思う。講義の中でディスカッションの時間を多く取り、発言という形で個々人の考えを言語化するもよし、作文のような形で書かせるもよし。ただ、それだけでは圧倒的に分量が足りないので、自主的に自分自身の思考を言語化する習慣があるといい。日記やブログなどは特にいい。
とはいえ、言語に限らず、例えば僕の友達では絵や図を描くことで自分の内面を整理するタイプの子もおり、その意味では、言語化だけではなく、自分が考えていることを何かの形でアウトプットし、それを自身で再認識することが重要だと考える。
さらに動機の話に踏み込むと、何が自分の動機なのか、換言すると、何が自分を駆動するのか、というのはおそらく1つに定まらない。
例えば、起業して成功した人の話を聞いたり伝記を読んだりしても、起業する理由はさまざまだ。面白いと思ってやっているうちに起業に至っていた、という人もいれば、生きる糧を得るために起業せざるを得なかった、という人もいる。あるいは、特定の人に貢献したいと思って起業した、という人もいる。
これは個々人のレベルでも同じことが起こると思っていて、つまり、人間が何か行動する理由は、実は複数ある。好奇心で、何かが面白いから知りたい、という動機での行動もあるし、それをやることで誰かのためになるからやる、という利他的な動機もある。これらの動機をポジティブなものとして一括するのであれば、逆に、自分はそれをやらないといけない、という義務感や、誰かに申し訳なく罪滅ぼしとしてやった、という罪悪感など、ネガティブな動機に行動がドライブされることもある。
わかりやすくするために例を出すと、たとえば僕の場合には、僕は努力をしなければいけない立場である、という義務感が基本的に全てをドライブする最重要な動機であり、かつそれを補助する動機として、それをやっていると楽しい、という動機がある。両方が揃って初めて、継続的な、あるいは他者を巻き込んだ行動ができる。逆に、僕は何かをする際に僕自身がそれをやっていて楽しかったとしても、それが誰かに貢献する、と思えないのであれば、すぐに辞めてしまう。
僕のこの傾向に僕が気づいたのは大学生になってからだが、そうなってからは、僕の長所と短所を分析した上で、他者に貢献するために僕自身を最大限に利用するにはどうすればいいか、という考え方をするようになったし、それによって日々の生活や行動の全てが、僕を利用して他者貢献するための行為として選別され、再構成された。
このように、人間の行動の動機はさまざまあり、それらが複合的に重なって人間は行動を決定する。
ここまで考えると、技能を高める上で、各個人がどのような動機構造を持っているのかをその個人が把握していることは、自分をコントロールして技能を伸ばす、ひいては社会に貢献するためには必須ではないか。さらに、短期的な行動の動機と長期的な行動の動機は違うことも考えると、自己の動機の分析は、かなり複雑で大量な分析を行うことになる。
このように、自分が何に駆動されるのか、どのように行動決定するのか、というのは非常に複雑で大きなテーマであり、かつ人間存在の根本に関わる最も重要なテーマの1つである。これについての直接的な考察がもう少し行われてもいいのではないか。
纏めると、たくましい知性やしなやかな感性、というのは技能、あるいはスキルのレベルの話であり、それらを駆動するための動機を各人が明確に自己認識する、というか実際には、明確にするための努力を日々行い続けることが重要ではないかと思った。