膜に包まれていること
一つ一つのことは取るに足らないようなことで、それら自体が大事ってわけじゃ無い。
大事なのは、そういう取るに足らないことに包摂されることであって、その包摂を俺は求めてる。
あの人はあんな癖がある、こんなことをよく言う、こんなことを一緒によくやった。そんな一つ一つは別に客観的な価値があることでは無いけれど、そういう一つ一つが刻まれた生活のリズム、そういう一つ一つが薄い膜のように俺の周りを包んで、時間を重ねるごとに少しづつ輪郭をはっきりさせていくこと。
どんな人と関わったって、そういうその人の膜みたいなものが俺を包んで、いつかその膜が無くなった時、またその膜に包まれたいと願う。そういう風にできている気がするな。
そんでやっぱ、ある程度はっきりとできた膜ってのはなくらならないで欲しい。無くなったら辛い。だから、大事にしたいよな。
恋人も友達も家族も。
一度膜の外に出たら、大事さがわかるのかもしれないな。
その人が無い生活のリズムを感じたら、やっぱり膜の中に戻りたいって思うのかもな。
敵を、何と戦うのかを明確にすることが主義を貫徹する第一歩であるなら、俺が戦うのは、自分一人が良ければいい、って考え方だ。
大切な人とたくさんの時間を共有して、互いを互いの生活のリズムに刻んで、互いの膜で互いを包み込んで、そしていつかそれに終わりが来て膜が破れて無くなった時に、その尊さに気付く。
そういう人生でありたいな。