山口多聞 絶対の確信なんかなくても、迷っても、それでも選んで進むのが英雄
英雄が、その英断を完全に確信してしているかっていうと、そうでもないことが結構ある。迷ってでも判断する、みたいなね。ポイントは、その判断でなければ現在の状況から目的を達成することができない、ということ、そして、不安を抱えつつも、可能な限り大勝することだけを考えること。なぜなら、負けたら全て終わりなので、負けた時のことを考える必要がないから。これはあるね。
山口多聞は開戦の前に、戦艦の中で瞑目した。だからさ、英雄が勝って歴史に名を残す戦いは、絶対に勝てる戦い、なんてもんじゃなくて、勝つか負けるか天佑に預ける、みたいなものである。そして、その心的苦労から髪とか髭が真っ白に染まるようなものでもある。シーザーでさえ、賽は投げられた、と言ってるだろ。いくら不安でも、いくら迷っても、それをやるしかない、そして行動を始めた以上は、失敗することを考える必要性がない。これが英雄のイデオロギーである。
こういう、具体的な話を読むのもいいな。楽しい。し、こういう知識も必要だなって。具体がないと抽象は理解できないからね。
大事な部下が死んでどんだけ悲しかろうとも、戦争だ。それで止まるわけにはいかない。あのね、だから、失敗してもいい、なんて言ってる奴は俺は好きじゃないんだ。失敗はしてはいけないし、したら辛い思いをするし、でもそれでも進んでいくんだよ。失敗してヘラヘラしてるやつは、俺は嫌いだ。そんなもんは、失敗の数には入らない。
データを見て判断するのは非常に大事だよ。それはそうなんだよね。だけど、データが語らない重要なことがあり、それも同様に大事、と言うか、それを掴んだ上でデータを読まないと読み誤る、と言う意味で、データより一段大事である。と思う。例えば、戦争における飛行士の熟練度、とかね。日本がww2では、最初日清日露で実戦を経験してる熟練飛行士が戦ってたが、戦争が進んでいくと彼らも撃墜されてしまうので、どんどん若手、と言うか経験がない飛行士が大勢を占めるようになった。そうなるともう、単純な飛行士の数は問題にならなくなってくる。まあその分撃墜率とかに現れると思うけどね。
これもまた繰り返しになるけど、別に俺は戦争が好きなわけじゃない。ただし、日本のww2前に軍部が持っていたカリスマは、日本の歴史を振り返っても刮目すべきものがある。あんなにも、プライドを持って、それに対応する規律と厳しさを持っていた組織は、日本にはなかなか類例がない。それを考えると、日本軍の分析は日本の組織をいかに最大化するか、ということに対して非常に重要な分析だし、日本の組織体制が戦前と戦後で変わった、と言う人は単に勉強不足なので小室さんの本を読んでおいで。機能集団に共同体性が紛れ込んでいる、そのために年功序列が起こる、そして、責任の分散が起こり空気が支配する、この辺りの日本の組織体制ってのは変わってないから。エリートが責任を取らないってのもそうだけどな。
外資の証券会社で副社長をやってた人もちょうどそういう話をしてて、それは儒教とプロテスタントって対立するフレームワークを使って日本の会社を分析するとより一層わかりやすいですよ、って言ったら、わからんかったみたいで黙られてしまって申し訳なかった。儒教とかプロテスタントとか出さないで、もう少しわかりやすいところから話を始めればよかった。
でもな、宗教研究は結局すごい大事だからな。儒教が何かわからない人もたくさんいると思うけど、例えば年功序列とか親を大事にしなさいとか、そういうのって基本的に儒教だからね。みんながいるところではっきりものを言わないようにしなさい、それも儒教。プロテスタントは逆で、論理に敵わないならはっきり言いなさい、って考え方。だからルターとか、教会の門に貼ったんじゃなかった?これがお前らはおかしい、っていう99箇条の張り紙をわざわざ教会の門に。別に神様を信じてるかってのは別として、その考え方、例えば自己主張をはっきりしろとか、年上を敬えとか、そういうものは人間に、というか社会に今も息づいてるし、それを分析することはかなり有用だなって、今会社で働いてても思うけどな。それがわかるから、昇進するにはどうしたらいいのか、ってのが他の人とは違う角度からわかる。まあ別に、昇進を絶対的な目的としてるわけではないけど、そういう分析が宗教からできるよ、っていうね。
山本五十六とか東郷平八郎、伊藤博文とか、その辺もちゃんと勉強しないとな。いい部分はいいし、悪い部分は悪いで、学んでいかないと。
賢さとは、無数の可能性の最適再構成である。何を言ってるかって、賢い人をまず学びなさい。軍事でも、学者でも、政治家でも、武士でも、宗教家でもなんでもいいけども。その上で、それらを分解して、自分なりに重要な要素を纏めなさい。自分にとって重要なこと、あるいは自分に向いていることってのは、接すればわかる。感動したり共感したり、そういうものがその人間にとって向いていることである。だから、そういう要素を、歴史上の賢い人たちから集めて回りなさい。そうすれば、彼らの賢さを自分に合うように再構成した自分なりの哲学ができる。何もないところから何かを作ることを始めるなんてやめなさい。賢さとは、すでに世界に存在する賢さを再構成して、新たな形にすることである。0からやるな。すでにあるものを使え。
小室さんとか俺もそうだけども、二つの軸で人間を評価している。一つは能力。で能力ってのは別に、めっちゃ筋肉があって喧嘩に強いとか、めっちゃデータの処理が早いとか、めっちゃ計算が早いとか、そういうことではない。そうじゃなくて、どこまで大局を把握して、先の先まで見通して判断できるか、ってことである。これに尽きると思う。例え国民の多数が反対しても、長期的に日本のためになる判断を下した人間を小室さんも俺も評価する。誰かのためを思い、大局を見通し、先の先まで読み通して最善の判断する。これができる人間を俺たちは能力があると言っている。
もう一つ。人格。これは能力も大いに重要なんだけども。誰かを大切にして、そのために必要以上の貢献をする。これじゃないかな。ここに関しては、小室さんに聞かないとどう思ってたのかはわからない。けど、少なくとも俺はここかな。誰かを大切に思い、例え牙を剥かれたとしても、その人のために命を賭して行動する。これに俺は感銘を受けるし、こうでありたいと思う。戦争で特攻を命じて、それに対して責任を感じて自分も戦闘機に乗って戦死する、とかね。死ぬことがわかってる攻撃だとしても、それを自分はこれまで部下に命じてきた。それに大変な責任を感じて生きてきた。日本の活可能性が途絶えた以上、これまで部下に命じてきたように自分も死を覚悟して戦闘に参加して死のう。これとかさ。あるいは、乃木さんとかも終戦において割腹自殺したわけだけど。天皇に申し訳ない、で死んだんだよな。こういうことってのはまさにオルテガのいう真のエリートで、つまり、自分には大きな能力と地位と、それに対する社会的な責任がある。だからこそ、自分の利害を超えて尽くすんだ、っていうね。自殺なんてしなくていいのに、それでもするってのは、まあ確かに、間違ってると言えないことはないんだけど、それでも俺からすると正しいイデオロギーなんだよな。自殺がいいこと、とは言ってないよ。だけど、それ以上に大事なことがあり、それを貫いた結果であるならば、俺は肯定できるなと。
どんなに優秀でも、まあこんなもんでいいんじゃない?ってなった瞬間にすぐに鈍る。使い物にならなくなる。目的合理性と行動的禁欲を失ったら、人間の格は失われる。特に、女。女に流れたら負けだし、それは女が悪いわけじゃなくて、女に大きく受け止められてしまうことに流れてしまう男が悪いしな。
余裕を持ったらいけない。これも大事。ハワイの時は、みんな死にに行くって面持ちであった。長い練習期間からみんな真剣で、国のために命を賭す、って覚悟でやっていた。それがハワイが一定うまく行って、ボケてしまった。ミッドウェーに行く時なんか、まるでピクニックに行くような雰囲気でいるやつが多かった。参謀の方も気が抜けていて、まあこれでいいや、くらいな判断だったし、そもそもミッドウェー作戦がかなり杜撰で適当に計画されている、ってことをわかって、でもそれに目を瞑っていた。それは負けるよねって。重要なのは、一回勝ったからって気を抜かないこと。そしてそのために重要なのは、目的合理的であることである。一回の勝敗に一喜一憂してないで、目的達成のために常に真剣でありなさい。それができないなら、気を抜いたタイミングで沈むぞ。
死ぬ時と場所さえも、天から決められている。それに従え。そうな。そうだろうな。
小室さんが読んだ本は、しかもリファーまでする本は、それは読んだら面白いよなと。だって俺たちは、頭の構造が似てるんだから。いい本だった。伝記は書くの難しいと思うが、でもいい本だったよ。無駄な装飾が少なくて。