小賢しいことをしていこう
小賢しいことをするのをやめると物事はうまくいく。
多分それはそうなんだよな。
でもそれはさ、そういうもん、なのかな。
まあそういうもんではあると思うけども。でもさ、もうちょっと考えてみようぜ。
小賢しいことをするってのは、なんかやりたいこととか目的があって、そのために自分の頭で考えて色々試してみるわけじゃん?
俺だったら男子校時代に彼女欲しいって渋谷でナンパしてたりしたわけだけど。
で、それはうまくいかなかったけど、でもその小賢しいことをした結果、俺は結構色々変わったと思うんだよな。
根拠ない自信がへし折られたりとか、自分の外見を冷静にちゃんと見たのも初めてだったし。
だから、小賢しいことをして、そこで望んだ成果は出なかった。
なんだが、望んだ目的には至らなかったにしても、俺が俺なりにできることは色々やったし、その結果として良くはなったんだと思うんだよな。マシになった。
で、俺の目的にとって決定的に重要だった要因は、女の子とある程度の時間を過ごすってことで、それは相手があることだから、なかなか自分では創出できないことよな。
でも留学でそれがたまたま成立して、うまく行ったと。
だから、小賢しいことをやめたら結果的に世界が与えてくれた、っていう解釈は確かにできる。
でも、小賢しいことをやめるってのは、自分である程度考えてできることは全部やって、それでも決定要因が至らないから成果にならない、って状況な気がするんだよな。
人事を尽くして天命を待ってる、って状態と言ってもいい。
だから、小賢しいことをやらない方がいいのか、と言われたらそんなことないんじゃないかな。
もうこれ以上考えたりトライしなくていいや、って疲れて思うくらいには、小賢しいことをした方がいいと思うんだよな。
小賢しいって言ったって、考えるし、傷付きもするし、そんなに軽くて薄っぺらいわけじゃないんだよ。
と俺は思うんだけどな。