呪われている
これたまに書くんだけどさ。
塾で教えてると、俺が説明して、「はいわかりました」で全部できちゃう子と、5回いろんな方法で教えてもわからない、ってことがいるのよな。
で、これはもう確実に、能力差ってのは個人ごとにあるなと。
で、それを無視する方が残酷で、勉強して簡単にできる子と、できない子がいる、ってのは、それを踏まえないと、その子たちからしたら地獄になりかねない。
だから、それを受容するってのは必要なことだと思うんだよな。
その上でね。
最近就活をしていて、社会人の方と話すと。
で、かなり優秀というか、大きい仕事をしてる方ともお話しさせていただくことがある。
で、そういう方々から、君は優秀だ、みたいなことを言われたり、普通の会社に入ったら優秀であるが故に苦労する、みたいなことを言われたり。
要は、高く買ってもらっていると。
で、そういうことを経験するにつれ、やっぱ俺は呪われてると思うんだよな。
俺の能力ってのは、俺のものじゃない。
俺の能力は、俺の遺伝子と俺の周りの環境でほぼ決まってると思うし、それはいずれも、俺が努力して獲得したものじゃない。
言って仕舞えば、たまたま、俺に与えられたもの。
親からとか、周りからとか。
まあ、具体的に誰から、ってよりも、世界から与えられた、って俺は思う。
でそれは同時に、たまたま与えられなかった人、ってのを意識することになる。
たまたま能力を与えられなくて、勉強ができないとか。
たまたま環境を与えられなくて、塾とか大学に行けないとか。
そういう人はごまんといて、その人たちを尻目に、俺は能力をたまたま与えられた。
だから、俺って人間は、能力を与えられた、という立場に生まれて、能力を与えられたことの責任を背負うことになると思うんだよな。
その意味で、俺は俺の能力を最大限に伸ばすために、そしてそれをたまたま与えられなかった他人のために使うことに、全てを捧げないといけないと思う。
俺の存在は、たまたま与えられ、たまたま与えられなかった人がいて、であれば、俺は、俺って人間を最大化して、たまたま与えられなかった人たちを幸せにしないといけない。その義務が、生まれながらにある。
俺の全ては、俺の能力を最大化して、たまたま与えられなかった人たちの幸福に尽くす、っていう目的に向けて、全てが理性によって再構築されなければいけない。
俺の生活の全ては、たまたま与えられなかった人たちの幸福に尽くすって目的のために、全て構築し直さなければいけない。目的合理的に、俺の生活の全てを、理性によって目的に向かって並べ直さないといけない。
それができないなら、俺は生きてる意味がないと思う。
呪いだし、でも、他に生きてて意味があると思えることもないんだよな。やりたいと思うこともない。