自分で勝手に始める人間じゃないと、大したことはない コンサル的な企業の座談会
金が欲しい、それだけなのに、どうしてこんなに長々言われなきゃいけないんだろう。
こういう理由があるからお金を稼げます、ってことなのかな。
複雑な。でも数字に頼れば、そうかも知れない。まだマシだよな。
新しければ新しいほど、受け入れたれないというジレンマをどう乗り越えるのか。
ウォークマンとか、最初はめっちゃ叩かれた。けど売れた。
なので、革新的な提案は、革新的であればあるほど受け入れられない、ってことがある。
そうなると、革新的な提案を打つのはむずいのでは。
マッキンゼーのプリンシパルが、守りの提案しかできなかった、って言ってたが、それと同じようになるのでは。
なので、アウトプットは0.5歩くらい先に設定すると。3歩先くらいだと客がついてこれないと。
あとは、実際にプロトタイプを作ると。
寝るの遅かったせいで、肌が荒れている。まあでも、それと比較して、どっちが大事っていうね?肌が荒れないことは大事だが、あれも相応に大事だろう。
こうあるべきだって社会を描くことは不可能ではないか。
必要だからって消費から趣味による消費に移り変わったって購買面でも、もっと踏み込んで日本人の倫理観が共同体由来だったのに失われたってこともあり。
結局のところ、こうあるべきだってのをどうやって描いてるのかってところに関心がある。
個人個人が持ってると。でも俺は結構適当に思い描いてるから、なんでもいいかなと。
実務的なわかんない、っていうのは、まあ価値を生むかも知れないけど、それは高級派遣になる。
漠として、世界がどうこう、っていうよりも、もっと小さいのかなっていう。
漠としすぎてるんだな俺は。世界がどうなったらいい、みたいなことじゃない。サステナビリティの観点で、って考えるとこうした方がいい、とかそういう感じ。
切り取って文脈を固定するしかない。まあ当たり前な感じやな。
俺は、これ、っていうのはきついのかなと。なんか抽象的にずっと考えてるなと。でも、それは結構垂直に現実世界に落ちてくる。ああだから俺は、俺の生き方について考えてるだけなのか。んーでも、サステナビリティ、とかってよりも、俺の人生にモロに関わる方が面白くないか。
事前説明がいるって言われるけど、実際は座談会の時とかにあんまりそれいらないよねっていう。まあ概略をさらっと言ってくれたら、あとは適当にそっから選んで質問するかなっていう。
結局のところ、社会全体をこうあるべきだって描くことはできない。
それは、文脈が複雑すぎるから。
例えば地球温暖化にしたって、じゃあ石油使うのやめるのか?いや無理、じゃあ止まらない。じゃあどうする?
複雑ってのは言い換えるなら、異なる見方で利害が一致しないこと。
だから、一概にこうってことは言えない。
であるから、この分野って絞って、こうなればいい、って考えることしかできない。
が、俺の場合には、俺の考え方ってのを変化させてるので、俺の生活世界の中では全てに通じる。
論理の部分で飛ぶってよりは、アウトプットをちゃんと相手が使ってくれるようにコミュニケーションとかが大事だと。
わかってるけどできない、とか、教科書的なことを言うな、とか言われると。
まじでびっくりするくらい魔法の杖みたいな使われ方をされてるなと。
部外者って立場と、外部の成功例かなと。
なんか、その場で思ったことを聞く方が、話しやすい。質問を話聞きながら考えて、しばらく経ってから聞こうとすると、忘れてるから話しにくい。その場でパッと思った質問の方が面白い。てか話しやすい。
何かを学ぼうって時に、誰かに教えてもらったりとか、誰かに引き上げて欲しいって考える奴が多いな。
なんかやだな。
てか、引き上げるにしても、自分でやるって気がない奴を引き上げたいとは思わないし、教えてもらったとしても、そこから先に行くには自分で考えなきゃいけないんだから、自分で勉強する気がない奴は結局大したことない。
結論、自分でこれやりたいって言って、自分で勝手に始める人間じゃないと、大したことはない。あい。自戒だね。
分析自体をできる人はたくさんいる。なので、自分自身で分析を完全にできる必要はない。安くやってくれる人がいる。なのでむしろ、どう言う数字が大事なのか、とか、どういう分析が大事なのか、って分析の設定をする力の方が大事だよと。客観的な機能が安くなってるんだな。不思議。だから、先輩を探して近くにいて、根掘り葉掘り聞くってのがいいかも知れない。