愛したかったけど、愛さなかったな
久々に過去の恋愛を振り返って。過去から学ぼうねと。
相手に幸せになって欲しい、ってのは間違ってねえけど、俺にそれができてたかって言われたら、全然できてなかっただろ?って話よな。
で、もうちょっと踏み込むと、俺が俺の人生に誰かの存在を求める、ってのは、例えば家族とか友達とか、そういうことをするのは別に間違ったことじゃない。
ただ問題は、それをどういう形でやるのか、つまり、誰かに対して俺の人生にいてよって求めるのか、あるいは、俺がその人たちのためにできることをやろうって自分自身に言動を求めるのか、っていうね。で、俺は他者に求めてたけど、本当は他者のために俺には何ができるのか、ってのを考えてやっていくってのが、依存しないで他者を俺の人生に求める、ってことだと思うんよな。それもできてなかった。俺が何を他者のためにしていくか、って計画とか検討が足りてなかった。
まあそれは、俺の役割をまだうまく自覚できてなかった、ってところもあるから、一定仕方ないなとは思うが。
他人の幸せを俺の目的に置くのは間違ってなくて、ただ、じゃあそうした時に、結果を見るのか過程を見るのか、ってことだと思うんだよな。
結果を見るとしたら、それは俺にはどうにもならん。他人が幸せになるか、なんて他人が決めること、てか当人にも決められんだろ。でも、他者を幸せにするためにたくさんコミュニケーションして、よく考えて戦略を書いて、努力をして、っていうのは、俺が俺の意思でできるし、そこをやってるのであれば、結果はともかくとして俺は満足だなと。
まあ結果はすごく大事なんだけど、最終的にそれは神の采配でしかない、というか俺が完全に決められることではないからさ。
なので、目的は間違ってないよ。ただそれに対して、現実的にどう行動するのか、ってところが弱かったな。相手を幸せにするための具体的で現実的な行動とか言動が弱かったな。
そこは自分1人でやるのは結構むずいので、実際にやってる他者から聞きまくってそっから選ぶ、ってのは確かに賢い方法だった。何かをやりたいなら、戦略をゼロから考えようとしないで、それをもう既に達成してる人から聞きまくって、サンプルを増やし、その中から良さげなものを選ぶ、あるいは組み合わせるってのが俺はいいようだ。就活でたまたまそれができたんだよな。それはラッキーだった。あとは、道を示してくれる本とかも巡り会えたしな。どうやって生きるか、ってことを示してくれるものにいろいろ出会えたのは、幸運なことだったし、それはまあ、知らないと無理よな、とは思う。
なぜ別れたいか?それはシンプルで、利がないから。言い換えるなら、俺といて幸せになれないから。
だからね、愛するって言葉の定義とか、愛したいって目的とか、抽象度の高い部分では俺の言ってたことは合ってるんだよ。
だけど、愛してはいなかったね。
愛したかったけど、愛していなかった。
幸せにしたかったけど、幸せにしていなかった。だから別れたい、って言われるんだ。一緒にいて幸せにならないから。むしろ不幸せになるから。シンプルだろ?利がないんだよ。俺といて。
で、それは、大いに、大変大いに俺に責任があるので、解くべき課題が山積してるので、それを解いていこうねと。まあだいぶ解けた気がするけどな、22歳になって。まあもちろん完全ではないけども。でも随分マシになったなって。及第点は取れるだろうなって。基本はできてるんじゃないかなって。
愛したいけど、愛さなかった。だからその意味では、本質的に重要なのは、結果よりもむしろ過程である。
あのね、一緒にいれるか、ってところで言ったら、もちろん結果が大事なんだよ。でも。結果ってのは俺だけで左右できることではないし、結局のところ人間関係は永続しない。そうでしょ?極論、人はいつか死ぬんだからさ。
だとしたら、結果としては、必ず負け、というか、永遠に一緒にいる、なんてことはできないんだ。永遠に一緒にいる、という結果は成立し得ない。
としたら、こういう別れ方ならよくて、こういう別れ方ならダメ、みたいにパターン分けすればいい?でもさ、どっちにしても結局は、俺に左右できない要因に結果が左右される、って意味では同じだろう。
死別するのと浮気されるので違うだろ、っていう人もいるだろうけど、結局は俺に左右できないことで一緒にいられるかどうかって結果が決まる、ってのは同じだと思うんだよな。
で、これは単に俺の好みだけど、俺に左右できないことに価値を置くのが俺は好きじゃないんだよな。ギャンブルでもしてるみたいで。
だからこそ、俺は俺の努力を以て俺を評価をしたい。
現実には頑張ったで賞なんて無い?でもさ、政治とか他者を直接的に巻き込むことに関しては他害原則があるから結果責任になるのはわかるけど、俺が俺の人生のどこを評価するか、ってことを俺が決めるのは、俺の自由だろ。
俺は俺に左右できない要因に大きく左右される結果を以て俺の人生を評価したくない。俺が俺の意思で判断できる努力の質と多寡によって俺の人生を、俺自身を評価、判断したい。それがまともだと俺は思うよ。
ベース、言ってたことは間違ってない。間違ってないが、そこに実力が伴わなかったね、っていうね。
相手をきちんと幸せにしていたのか?ってこと、そこでしか俺ができることはないし、何よりも、そこが一番の根本原因だったんじゃないか。
そこの部分が俺は弱かったし、まあ顔がいい人間あるあるだなって。一回死んどけ、っていうね。顔がいいからって何しても許されるわけではないよ。それを身を以て体験した回だったのではないかなと。
まあ痛かったから、いい薬になったのではないでしょうか。そう思います。