絶対必要ではないもの、を意図しないと
就活不安相談zoomをやってみて。
参加してくれた人は、周りがどんな感じでやってるかってのを知れないのが怖い、と。
逆に、周りがこうやってるってのを知れればそれで安心できるけど、そういうのがないと。
就活に疲れてる、っていうのは一定当たってるなと。
が、それを解決する手段として、集団化するってのはなかなかめんどいな。
集団化って倫理的に正しいのか?一定正しい。
しかし、セミナーとかはあるんだよな。
なんかだから心理的な距離の問題があって、正しいideal的な形は知ってるんだけど、それが果たしてみんなやってるのか、とか、実際はどうなのか、っていう、本音と建前の建前しかなくなってる、みたいな状態だよな。
ああやっぱ、一緒にルールを破る仲間がいないと、なんか建前が全てになっちゃうなっていう。
就活中のコミュニケーションって、別にいらないんだけど、てか、必要ではないんだけど、でもあると一定楽しいよね、っていう。
効率とか求めても、うーん。
そうこれな。
言語的で合理的な思考を使うと、絶対に必要な部分、idealは入ってくるけど、いや実際はそんなテキパキできないし、無駄に喋ったり寝たりするんだ、って遊びの部分が抜ける。
絶対必要、以外が消滅する。
ルールにまじガチになる。
何を言ってるかっていうと、就活対策セミナーとかで、この時期にこれをやりましょう、みたいな理想像のインプットはしてくれる。
が、人間はやっぱダレるし、ES落ちて寝たりもする。
面接官がわけわからんやつで腹立つこともある。
で、まじで就活疲れたから寝るわ!って言い合える友達がいること、ルールを一緒に破る友達がいるってことが大事だなと。
それがないと、ルールを破りずらくなったり、破ることに引け目を感じたりして、結果としてフロイトの神経症的になる。
遊びの部分が認められにくくなると、人間の精神状況的に良くない。
生きてるんだか死んでるんだか、って状況だよなと。
不要の要、ではないんだけど、要らない部分が結構面白かったりするし、絶対に必要、って部分を効率化しようとするのであれば、あんま生きてる意味ないし、そもそもそんなに絶対に必要なことってなくない?っていう。
無用の用か。