日本の敗因 利己と社会的責任を共存させて、堂々としていよう。
言ったことをやらないのと、相手の判断の構造を理解しない、この2つが非常に俺の恥だよと。
無能を指揮に采配すると酷いことになる。のと、運命がこっちに傾いてきた時にそれを受け取らないと酷いことになる。
大事な時に正しい判断ができない、というのが良くないし、専門家をうまく使えない、というのがでかい。俺が変に判断しようとせずに、俺よりも頭がいい人を使いなさい。
やっちゃいけないのは、俺が変に判断しようとでしゃばること。それはやめなさい。
これが難しくて、俺はどこまでを介入しないといけないのか。あるいは、どこまで以上は介入しない方がいいのか。
合成の誤謬が起こるので、重要な判断は全体像が見えている人間が行わないといけない。それを下手に現場の声とかみんなの声を聞くと、死んじゃうよ?っていうね。敷衍して、俺はレールをきっちりしかないと、ダメだな。決めたことの実行は任せればいいけど、決めるのは俺だ。というか、決め方を決めるのは俺。
誰に決めさせるかを決めるのが俺。で、頭が良くても目の前しか見てない奴が大半なので、その意味で合成の誤謬が起こるよと。で、全体に及ぼす影響が大きいものは俺が一回判断に関与した方がいい。全体性を考慮した方がいい。当たり前やな。
心理的なダメージで合理的思考を失うのが1番良くない。総崩れになる。山本五十六、あなたのことですよ。
それと、日本は人を使うのが下手すぎる。最優秀技師を無駄な兵器の開発に使ったり、立場はあっても他の分野の専門家を海戦に登用したり。人を使うのが下手すぎるし、能力を見抜き、成果を最大化できる場所に、特に能力があればある人材ほど優先して采配する、ってことが全くできない。采配者の責任だからな。判断者を誰にするか、とか、そういうことだぞ。
南雲さんは頑張ったけど、そもそもあなたはそこで頑張るはずの人じゃない。
わかってるなら読み飛ばしていい。飽きてるのに時間かけなくていいよ。
人を使うが、その責任は俺が取れよと。
重要なタイミングで重要な役割を果たすものに資源を投下しろ、というのがとても重要である。資本主義においても合理的思考においても。
才能ってのは、本当に貴重なものである。そして、本物の才能から出る周囲と拮抗する意見ってのは、尊重しても尊重しきれないくらい価値のあるものである。周りと違うからこそ、先見の明があり価値がある。全体像を見つつ、その価値をいかに見抜くか、そこに俺の采配者としての能力がかかっている。
組織は本来の目的を失うと内側へ視点が向く、つまり、自分たちの組織を継続することが目的になる。が、それをやると存在価値がガンガン薄れて最後には消滅する。だからこそ、効用の最大化を常に考えないといけない。本当に組織を残したいなら、意味あるものになるように常に気を張らないといけない。
俺の存在理由を問おうよ。それを常に中心に置こうよ。俺が求めるものもあるし、それはもちろんいいが。が、同時に、俺の世界に対する存在責任は何か。それも考えろよ。じゃないと、俺は死ぬぞ。生きてる意味とか楽しさとか無くて。その意味で言うと、イライラすることを探そう。高齢者とか外国人から金を取るビジネスにイライラするし、人材を碌に采配できない上層にもイライラするし、全体像を見ない判断にもイライラする。これが、俺がやらないといけないこと。つまり、俺がこの世界に存在させられてる理由だろ。俺の組織を持て。能力の最大化のための采配に身を窶せ。全体像を見て判断しろ。
フェチってのは、目的と手段の錯誤である。逆転である。女に欲情してたのが、女の周辺のものにも愛着を感じるようになり、最終的に女そっちのけで周辺物にぞっこんになる。組織もこれが起こる。目的を見失うと、末端に囚われる。俺の強みは、目的を常に辿ること。
目的合理的に考える人間が少ない。俺はこれを何度も何度も何度も言ってるから、やっぱここに存在理由があるんだろうな。目的から遡って戦略とか作戦を立てろと。できないなら無能だと強く思う。
人の使い方として、部品として徹底的に使う時と、それを後続に教える時、そして休ませる時がある。で、きちんと休ませることが潰れないためには重要だし、後続に教えさせることもロングスパンで見た時の戦力として重要である。
ワーク、ティーチ、レスト、の3つをローテーションさせるのがいい。アメリカ空軍は大東亜戦争でパイロットをそう使ったし、それでいい。
先例があり、それが機能した、ってのが理論を実際に俺が使う上で重要である。それがないと新しい理論を使えない。
能力のある人間は、歯を食いしばってでも能力を伸ばせ。最大化しろ。能力の無い人間に大切な人を守ることはできないし、能力をそもそも与えられなかった人は山ほどいるんだ。
利己と利他は、共存する。俺が利己的に何かを求めることはいい。が、根源的に利他心を持つこともまた良い。並列してはいけない理由は無い。俺は利己的に俺の楽しさを求め、同時に義憤にも駆られる。であれば、両立しろ、いずれも満たせ。それで良い話だろ。どっちにしても、やるべきことは自己陶冶だしな。
結局のところどっちにしても、手段は俺の能力の最大化と、それを最大限に生かすこと、だろう。だから両立できる。
失策、無能、失敗、山ほどあるよ。山ほどある。だけど、それは気に病まなくて良い。天才の必要条件は失敗から学ぶことであり、言い換えるなら、失敗から学ぶことなくして天才にはなれない。失敗していい。唯一俺が忌諱するのは、学習能力の無いこと。失敗なんていくらでもして良い。が、そこから学べ。学ばないことは、俺の存在の否定になる。能力の最大化を止める。俺にとっての悪だし、死罪と言っても本質的に過言じゃない。
歴史にifを付けるのは、全然無駄なことじゃなくて、むしろ自分が似た立場になった時に判断するための格好の練習になる。他人から学べる人間は成長が早い。
払うコストよりも、それがどれだけ目的に直結するかを考えろと。合目的的に全てを考えないからそういうことになる。で、目的に直結したところでコストがデカすぎる、ってことになるのであれば、それはその目的がどうでも良すぎるから捨てろ。
俺の役割を自覚してれば、あとはまあどう思われても良いかなと。本質的に重要なことを考えた時に、あんま、他者からどう思われるべきか、は考えてないな。
やるべきことをやってよう、って認識だけがあり、1人でいるのが楽だなってなるな。
天皇とその軍隊である日本軍は絶対に負けない間違わない、って本気で思ってたらしい。すげえな日本人。
アメリカは最初、日本が噛み付いてくるのを避けるために、日本を発展途上国として放置しようとしてた。が、冷戦で日本を補給基地にしよう、と思うに至り、そのために敵国じゃなくて同盟国として経済発展させようと思うようになった。
金をガンガン稼いで、投資に回す。これをやらないと。