コミュニケーションの入りと俺が欲しい友達について

一般的な、普遍的な定石、あるいは典型的で理想的な原則として、笑顔で、相手に関心を持ってコミュニケーションを始めよう。

それは俺の解くべき課題の一つだし、それで解決できることは色々とあるから。

原則として覚えとこう。


就活は、人とのコミュニケーションを、アウトプットの最大化って目的を持って行え、って言われるのでその意味でコミュニケーションって何の意味があるの?と思ってた俺はコミュニケーションについて考えざるを得ず、しかしそれはそれで、これまで考えてこなかったので面白い。

あくまで目的を就活的なものに置いた場合にではあるけど、より良いコミュニケーションって何なのか、ってことをまともに考えている。

そうすると色々あって面白いなって。

ああでもやっぱ、成果の最大化は考えてるか。それがないとやっぱつまんないんだろうな。

コミュニケーションの先に何を望むかっていうね。それが俺の目的に繋がってるから俺はやってるし、普段のコミュニケーションはそうじゃないってことなんかな。

人間関係を持つ相手は誰でもいいわけじゃないのかな。

結局どういう人と友達になりたいのかって、俺はよくわかんないままだな。わかんないままだけど、それはそれで選びようはあって、俺が興味を持てるのであればそれでラインは超えてるし、そういう人と仲良くなれば良いんじゃないか?

論理的に完全な優先順位が付かない場合には、一定のラインを超えたものをどんどん、取って行けばいい、たぶん。まあその中で選ぶタイミングがまた来るかもだけど、とりあえずそれは深く踏み込まないと、踏み込む前の時点で優先順位は付けられないんだよな。その意味で踏み込めって言っている。

最低限のラインを超えたものに関しては、あとはやってみないとわからない。世の中は数学じゃないからな。

まあでもラインに関しては、常に改定されうるものだし、ラインを超えてるかの判断も個別に更新されていくし、何よりラインは多分一つじゃない。

何となく良さそうってラインと、実際に多少踏み込んでみて本当に良かったのかってラインと、さらにその先にもまたきっとラインがあるし、逆に言えば、一本目のラインを超えたものを全て取り込むわけには行かないよな、大体の場合。

多少踏み込んでみてまた探るってことがあるだろ。

こいつ面白いなと思ったとして、その人がどこまで残るかってのは、いろんな制約に揉まれることではあるんだろうな。

今1番理解するべきは、一つ目のラインを超えたものを全て取れるわけではないし、その先にラインがあるってことだろうな。あるいはまた判断されるって言ってもいい

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