割と幸せな時は、大して書くことがない
自分の外にどんどん幸せを探して行き着くのがメタバースとかドラッグだと思うんだよな。で、それはまあ合理主義の終着点というか、合理主義が行き着くところだと思うんだよな。
ただ俺はそれよりは、まあそれも悪くないかもしれないけども、どっちかっていうと宗教的な方に行きたい。というか、俺の内部の方に。
前から言ってるけど、本当に俺を幸せにするものは、俺が作るしかない。誰かが、何がが、俺を幸せにしてくれるわけじゃない。恋愛も仕事もそうかなって。してもらうよりしてあげた幸せの方が長続きするってのもそうだと思うし、人に頼っても、外部に頼っても、幸せには結局ならないのかなと。俺が努力して何かしてその結果、というか過程が幸せをもたらしてくれるんかなと。まいいや。
恋愛について、相手を信仰することが大事だと思うんだよな。俺で言ったら俺は男だから、『君は可愛い、君は優しい、君みたいな女の子がそばにいてくれて俺は幸せだし、君を幸せにするために俺は尽くしたい』これが幸せな恋愛をするための根幹になると思う。
相手が幸せにしてくれる、じゃなくて、相手は素晴らしい人間で、俺は相手をどう幸せにしてあげられるか。それで実際に幸せにしてあげられたら、幸せそうにしてるのを見てそれはやっぱ嬉しいし、相手も俺に懐いてくれる。2段で嬉しいんだよ。
で、抽象度を下げて現実的な情報というか手段として、お互いの人間関係をミックスするってのは結構いいなと。俺の友達を紹介するし、相手の友達も紹介してもらう。そんでみんなで遊ぶ。そうすると、友達同士で恋愛が発生したりしてる。というか、日本人の男の子をエストニア人の友達のエストニア人の友達に会わせてたらそこで恋愛が発生しそうになっている。まあそういうことあるよな。
人間関係のミックスは結構面白いんだよなあ。二人でいると飽きるけど、友達といると新鮮だし、その次に二人だけで会った時に、それもまた新鮮な感じがする。
あとはやっぱなんか新しいことをするってことね。食べ物でもいいんだけど、なんだろうな、博物館とかミュージアムとか。スポーツとか。なんでもいいけど。料理するとか、誰かの家行くとか。なんか、あんま金をかけずに、そんな大層な発想も必要とせずに、ちょっと変化させるだけでいいんだよな。それで十分面白くなる。同じことをただ繰り返すってのはあんまり良くない。
あとは、物理的に距離が近いって結構大事で、タルトゥって全てが小さい街に収まってるから、飲みに行くのも近いし、誰かの家行くのも近いし、全部徒歩だし。
なんか持ってってあげようと思ったら歩いてすぐ家行けるし。今からきなよってのが通用するし。だからシェアハウスとかいいと思うんだよな。