できるかできないかじゃなくて、やりたいと思ったことをやることが、自分がやりたいことへ近づいていくための道筋なんだと思う
俺の人生を通して、俺は俺のやりたいことがあると思う。
でもそれは、今はまだすごくぼやけていて。
具体的なビジョンにしてみろ、って言われたら、全然できなくて。
でもさ、それは仕方ないよな。
だって、誰かが先にやったことだったらまだわかるけど、誰もやってない、俺がやりたいことなんだよ。
だから前例もないし、こうなったらいい、なんて明確なものを描けるはずはなくて。
だからできるのは、俺はこんな感じのことがやりたいんだろうな、ってぼやけた遠い未来と、目の前にある一段の階段だけ。
つまり、今の時点の俺が考えて、これが一番その光に近づけるんじゃないか、と思える選択肢だけが、目の前にある。
そして、そっから、俺が本当にやりたいぼやけた未来までの道のりは、真っ暗で。
でも、いつだって、目の前の一段を登ったら、次の一段が見えて。
そして、それを繰り返した先に、俺がやりたいことが実現している世界があるはずで。
俺は、それを見てみたいんだよな。
だから、ここで止まることはないよな。
すごく長い、つまり俺の人生の全部を費やす長期戦だから、必ずしも、何かが正解ってことはなくて。
だし、目の前の階段を上がれなかったとしても、それを真剣にやってたなら、俺はそれはそれでいいと思うんだよね。
その過程の中で、また新しい一段が見えるんじゃないかな、と。
たとえうまく行かなかったとしても、真剣に求めたなら、適したものを世界は与えてくれると思う。
その上で。
じゃあ、その目の前の階段をどうやって決めるのか、ってことなんだよな。
で、もうこれは、感覚だと思うんだよな。
もちろん、客観的なデータとかはあったほうが良くて。
必ずできないことをやろうとしても、それは流石に徒労じゃない?
ただ、必ずできないこと、ってなんだろう、ってのは1つあると思うけどね。
人間が裸で空を飛ぶ、とかかな。
まあでも、必ず無理なことって、あんまりやりたいと思わないんじゃないかな、という気もする。
まあともかく、データとかも見ながら。
でも最後は、自分の気持ちだと思うんだよな。
できるからやる、できないからやらない、じゃなくて。
それで決めたら後悔するってイチローが言ってて、確かになあ、と。
そうじゃなくて、やりたいからやる、でいいんだよ、と。
本当にそうなんだと思うんだよな。
だって、何か正解があるわけじゃない。
最終的には、俺がやりたいこと、を実現するためにやってるわけで。
そのプロセスの中で、そもそもゴールが抽象的なのに、必ずこれだけが正解です、なんて選択肢があるわけがない。
だから、最終的に目の前の登るべき一段ってのは、自分がやりたいか、で決めるんだと思う。
それが唯一の、絶対の、その一段の決め方だろうなって。
やりたい、と思ったら、それに向けて頑張ればいい。
できるかできないかじゃなくて。
やりたいなら、やればいい。
もちろん、世界には、自分が左右できないファクターがたくさんあって。
だから、最終的に、できないかもしれないよ。
でもさ、その中で、たとえできなかったとしても、その段を登れなかったとしても。
でも、その経験の中から見えてくるものは、必ずあると思うんだよな。
たとえば、今回は登れなかったけど、やってみた中でやっぱり必要だと思ったから、もう一度だけ、今度はもっと真剣にやろう、と思うかもしれない。
あるいは、やってる中で、もっとこっちがいいと思った、だからこっちにしようって選択肢が見えた、とか。
だから、その目の前の一段を本気で登ろうとすることは、たとえ登れなかったとしても、全く無駄ではない。
というか、それが唯一で絶対の、自分がやりたいことへ近づいていくための道筋なんだと思う。
できるかできないかじゃなくて、やりたいと思ったことをやることがね。
ただ、長期戦だし、世の中にはたくさん、自分の思い通りにならないことがあるから。
だから、あんまり焦らないほうがいいとは思うけど。
でもまあ、落ち着いて、仕組みを作って、その上で軽やかに進んでいけるといいなと思う。