恋愛に沼ることと、その否定
わけわかんないことでキレられて、その上であなたが好きだからこうなっちゃうの、って言われると、これは一種の呪文なんだよな。
つまり、たしかにこんな理不尽なことは自分以外にはしてない。つまりそれだけ自分は相手にとって特別なんだ、と思わされる。
そうすると、かなり理不尽なことされてイラッとしてても、自分は相手の特別な存在、ってことに釣られて別れがたくなるんだよな。
これが沼るメカニズムだろうと。
相手が理不尽でダメなことをすればするほど、その後に来る、特別な君だから、が刺さる。
がしかし。ちょっとこれにカウンターしてみよ
う。
果たして本当に自分は相手にとって特別なのか?
確かに、一定繋がりが他者より深いから理不尽なことをしてくるってのはある。しかし、それは果たして特別なのか。
確かに、過ごした時間が長いとか、体の関係があるとか、そういう意味では他者と違うのかもしれないけど、特別ってそういうことじゃないだろう。
恋愛って、お互いの考え方とか感じ方を知って、それに合わせたり部分的に距離を空けたり、お互いに耐えられるところを妥協しながら距離を縮めていく、あるいは適切な距離を探っていく。それが要諦だろと。
あなたは私にとって特別で、だからつい感情的に当たってしまうの。いやそれは、恋愛じゃなくて、相手を大切にしてるわけでもなくて、ただ相手に依存してサンドバッグにしてるだけだろ。
相手を自分の道具にしてるだけだ。
と、過去の俺に教えてあげたいね。まあ教えたところでどうにもならない気もするけど。
相手の考え方を知って、価値観を知って、それにお互い妥協して合わせていく。お互いの世界に馴染んでいって、そしたらたぶん最終的に一つの世界になると思うんだよな。
お互いがお互いの世界の一部を放棄して、お互いの世界に新しく馴染んでいく。そして最終的に生まれる新しい一つの世界。恋愛に夢を見過ぎだろうか?まあいいよなそれくらいが。
結局は事後的に、あの時俺はこう感じてた、私はこう感じてた、ああそうだったのね、じゃあ次はこうしてみよう。
そうやって、時間を一緒に過ごして、その中で喧嘩して感じ方を擦り合わせて、お互いがお互いの価値観に馴染んでいくことが恋愛だと思うんだよな。
理不尽にキレたり優しくしたり、それは相手を大切にしてるわけじゃない。
相手に甘えて、感情的に傷つけることを楽しんでるだけだ。そんなとこからはなんも生まれない。