プルターク英雄伝 人類の幸福のため、与えられた役割に尽くす
いい本といい友は時間の洗礼を受けて判明する、とはまさにその通りだなと。
この一冊の本が、ヨーロッパのどんな学校や教師よりも多くの英傑を養成しただろう、というコンセプトも頗る良い。その通りであって、社会化の意味ではなくて、人格陶冶としての教育は、他者が与えるものではなくて自分で望んで獲得していくものであるし、その意味では学校とか教師、あるいは私塾よりも、本が適している、というのはそうかもな。
この本のエリート論とか、エリート育成論については文句がない、というか、非常に同感である。誰であっても努力を倦まなければ、英雄になれない理はない。が、文章の美醜に関してはよくわからんな。横文字多い。
殴りたければ殴れ、だが聴け。かっこよ。
セミストクリーズが逃げるな戦うぞって船の上で論争してる時に、フクロウが飛んできて船の先端に止まった。これを瑞兆だと見てギリシャ人は開戦を決めた。ヴェルトガイストに神風が吹き、奇跡が味方し、不可能は無し。歴史上こう言うことがよくある。織田信長もナポレオンも然り。
陶片追放は、本来は人気がありすぎて独裁しそうなやつを追放する、という独裁政治へのカウンターバランスだったけど、実際には、能力がある人間に嫉妬した民衆が鬱憤を晴らすために追放する、という暴民政治の方に機能してしまった。難しいね民主主義は。
適度に丸くなることも大事で、ギリシャ人の自分がすごいって言動は、かなりびっくりするくらいのものである。で、そういうことを言うので妬みを買うと。老年になってくると、だんだん言説がおとなしくなってくる。
アルシバイアディーズは面白くて、社会的通念からして無茶苦茶なことを言うけど、でも筋が通っていて、人をそっちに動員できる。かっこいいよなそういうの。
プルターク読んでて、つまんねえな、と思う部分がある。でこれをつまんねえと断罪して良いのか、俺の読み方が甘いのか、って問題になるが、これは、断罪して良い。つまんねえ部分はある。プルタークといえど。なぜそれが言えるかって、面白い部分もまたあるからね。面白いもんは面白いと思うし、つまらない部分はつまらないと思う。これは自然に起こることで、あんま俺の一時的な状態の問題では無い。今の俺が読んでつまんないものはつまんないし、10年とか経ったら面白いのかも知れないが、今は少なくとも面白くないし、それはまあ、食べ合わせの問題と思ってれば良いよ。それは仕方ないなって。
緊急の用事は今日すぐやりなさい、とね。
アレクサンダー大王、えらい死に方してるな。
父親が功績を上げると俺がやることがなくなる、って言って嫌がったと。栄えた国より内憂外患に煩わされる国を求めたと。
アレキサンダーのお父さんも偉い人で、アレキサンダーが天才だとわかった時から、命令して強制的に何かやらせるのは無理で、それよりも本人に説明して納得させよう、と教育方針を変えた。その上で、当時最大の哲学者だったアリストテレスを読んできて、教育を頼んだ。その時には、一回征服してぶっ壊したアリストテレスの郷里を再建して奴隷として働かせてた住民を元の家に住ませ、さらにアリストテレスの弟子たちのために研究所まで作った。それがまだギリシャにある。見に行きたいね。
アリストテレスにとって、金とかはどうでも良かった。勝つことと、名誉を歴史に刻むことが彼の全てだったし、だから彼は結構金がなかった。というか、戦争するにあたって将校がいくらあれば後顧の憂がないかを全部計算して、それぞれに畑なり村なり港なりを与えた。で、金があんまなくなって、というか国王としてはかなりない方で、じゃあ陛下は何を望むのか、と聞かれて、今後の希望、と答えた。目的合理の権化みたいやな。終わりなき追求、ってのは一つある。ただ、目標はあっていい。マイルストーンとして。
アレキサンダーが攻め出す時に、その月が問題になった。歴代の王が攻めた月と違うから、良くないんじゃないか、進撃をやめよう、という奴がいた。でアレキサンダーは、じゃあ今月を進撃に適する二つ目の月にしよう、っていって進撃を開始した。伝統主義の打破、かくありなん。笑っちゃうな。
一気に攻めるか一回落ち着くかで迷った時に、泉から突然水が溢れて古い銅板が出てきた。曰く、ペルシャ帝国は滅びると。でこれを見て、じゃあ一気に行こう、でマジで一気に攻めて両地を広げた。かつ、浜辺を馬で走るとき、いつもは波がすごくて通れない崖道が、波が落ち着いて馬が通る道ができた。ヴェルトガイストには神が語りかけるし、それを素直に聞けば神がより与えるもんだなと。
アレキサンダー編は面白いわ、流石に。
朝12時とかに起きて、ご飯食べて、運動するか読書するか働くか日記書くか。で日が落ちたら夜ご飯で、酒飲みながら24時くらいまでゆっくり話す。暇な時のアレキサンダーはこんな感じのスケジュール。
物をあげるってのは難しい。慇懃で鷹揚に物を部下にあげたと。丁寧に、おおらかに、物をあげたと。であるが故に、部下は常に貰い物を喜んだと。
アレキサンダーですごいかっこいいのは、宿敵を殺しに砂漠を長距離移動してて、水が無くなった。で自分も兵士も喉カラカラで走ってたら、水運んでる人が通りかかって、アレキサンダーを見て、ぜひ飲んでくださいと。言うに、子供達のために水を運んでいたが、アレキサンダーに献上できるなら子供が乾き死んでも全く後悔ないと。で、アレキサンダーが目の前に水を差し出されて曰く、気持ちは嬉しいけどいらない。だって今ここで私がこれを飲んだら、私の部下はどれだけ落胆すると思う?と。まあ子供のためって意味もあったんだろうし、それは言わなかったんだろうな。自分の損得とか快楽よりも、自分の立場と目的を考えると。これで兵士は士気が上がって、アレキサンダーが我らの将である限り、我らの命は尽きない、と。
やっぱ、自分が辛い時こそ試されるんだよな。快楽に淫するよりも、勤労と辛苦に甘んじることが最も高尚で王者的な営為である、とアレキサンダーは言っている。世界の中で自分に与えられた目的と立場に自覚的であるべきだし、それは快楽よりも勤労と辛苦を取る態度に、そして自分の損得や快不快よりも立場と目的を、たとえ自分が何かに苦しんでいたとしても選択することに現れる。こんなミメーシスもないぜ。かっこよ。
俺の立場と目的を弁えろ。そして、俺が苦しい時こそそれを指針としろ。それが俺の責任だから。
アレキサンダーはちょこちょこ激怒してるけど、でもその後が冷静である。正しいことを言って怒るし、相手がきちんと謝ってきたら怒りを収める。とか、場合によっては賠償金を払ったりとか。どうやって怒るかって言うと、自分は常に目的と立場を意識して生きていて、それに対する侮辱、あるいはその妨害に対して怒る。逆に快楽とかに関しては全然どうでもいいって感じで、夜ご飯はみんな同じ物を同じように食べるように、ってしてた。まだから、立場と目的を自覚してれば怒ってもいいよと。そういうことだな。
アレキサンダーでさえ、不安になることはある。何に俺が最近不安を感じてるのかはわからないけども。
アレキサンダーが酒宴において親友を怒り狂って殺してしまった時、彼は自殺しようと思ったけど周りに止められてやめた。が、二日間寝室に篭っていた。で、その時に慰めたのが何人かいたが、その中の1人がかなり無茶なことを言うやつで、まあ確かに慰めにはなったけど同時にアレキサンダーが勝手な人間にもなった。知るべきは、心が弱った時、不安な時にこそ、堕落する可能性が大きいから締めろ、ということ。
きつい?凹む?まあそういうこともあるが。それに流されたら負ける。
あんだけ神に愛されたアレキサンダーでも、途中から、というか、一回老年を過ぎて、というか攻撃をやめて帰国することになってからは変なことが起きまくった。最愛のペットがロバに蹴られて死ぬ、とか、知らん奴がいつの間にか自分の玉座に座ってて、何してんだって言ったら夢で神様が俺にやれって言ったんです、とか。
思うに、ヴェルトガイストをやってる間は神は寵愛を賜う。が、それから離脱すると、神が決めた世界精神の役割から離脱すると、一気に神は怒るのかなと。
アレキサンダーはいろんなことを悪い前兆だと思うようになって、衰退していった。物事が悪い方へ転がり出したのは、一重にヴェルトガイストから離れたことによる。征服する、それがアレキサンダーに神が与えた要件であったし、そこに従事しているうちは神は彼を愛して、彼がそこから離れた時に神は彼を見捨て、呪った。ヴェルトガイストから離れて生きることが、かくも恐ろしいことなんだなと。身が震えます。
失敗は、重い。しかし、それを真っ向から背負って前に進む以外に、道は無いんだよ。あらずんば神に見捨てられ呪われて死ぬ。カルヴァンの予定説の如き。
シーザーの歴史は、ポピュリズムの歴史である。美しく、人気を取り、選挙に勝つ。そうして皇帝に至ると。
アレキサンダーもそうだけどシーザーもやたらと強いカリスマがある。でこれは結構同じパターンで、粗食、勤労、私欲の否定、名誉欲、危機から逃げないこと、など。までもこれはだからプロテスタントと同じで、目的合理的であり、行動的禁欲ってことよな。神に与えられた目的のために生きて、自分の贅沢とか欲を満たすことを悪とする、っていう。
他者に与えることは自分の富の増加であると捉えて、積極的に与える、というか、自分が富を持とうとしない。
目的合理だし、行動的禁欲だし、選ばれた人間として、偉大な人間としてのプライドがある。
シーザーにしてもアレキサンダーにしても、まあもちろん個としても強いんだけども、歴史に名を残すには周りの人間を使う、ということができないといけない。鼓舞する、とか、いらないやつを捨てる、とか。希望を持たせる、とか、大事にされてると思わせる、とか。
困難にあったならば、それを梃子により高みを目指しなさい。
真の支配とは、自分自身に対する支配である。だから、道理に譲りなさい。
酒を飲んで何かを滅ぼすのであれば、それは俺の責任である。誰かのせいじゃない。俺の不徳の至る所である。
悩みながら本を読めば、良本は何も言わなくても答えを与えてくれる。というか、示唆してくれる。
アレキサンダーにしてもシーザーにしても、士気を上げるのがうまかった。他の将なら普通の軍隊が、彼らの下では不敵の軍隊になった。でそれは、自分で範を示すからである。戦争では前線に出て、荒れた川を渡るに一番に渡る。確かに比較優位だから、全部を俺がやらなくていい。しかし、俺の得意は完全にやり、範を示さなければいけない。俺が全てをやる必要はないがしかし、俺が俺の得意を実行することで範を示さなければいけない。俺の仕事をして、範を示しなさい。まず第一線に立ちなさい。責任を持ちなさい。違いないね。
アレキサンダーは人類の幸福を求め、シーザーはその没落を企てる。人類を幸福にすることを目的に、そのために俺に与えられた役割を全うする。それに積極的であらねばいけないし、そうでないと呪い殺されるよと。
ブルータスはいい人だったんだろうけど、弱かったな。アレキサンダーが一番だわ。
アレキサンダーって、人に対して、ちょっと上の立場から諭すって感じなんだよな。目的を手放さず、周りを見て、だからここはこうするんだよ、っていうね。これが上手かったから、彼はカリスマがあった。付き従おうとする人に勇気を与えた。彼に従うことが正しいんだ、っていうね。
その意味ではやっぱり、語れないといけないんだろうな。目的はこれで、そのために今あるリソースの状況はこうで、だからこうするんだよ、っていうね。