俺みたいな人間の、最も真っ当な生き方
「これは俺が本当にやりたいことじゃない」って、これまで生きてきて、何度も何度も言ってきた。
自分で始めたのにも関わらず、適当な努力しかしなかったり、途中で投げ出すこともあった。
そのせいで、人に迷惑をかけたり、人を傷つけることもあった。
それはもちろん、大きな罪だと思う。
だけど同時に、そう言い続けてきた俺の気持ちも、俺は自分のことだからわかるんだよ。
もっと俺は本質的に人の役に立ちたい、とか、もっと満足させられていないニーズがあるのにそれになんで向き合えていないのか、とか。
本当に不十分に思えて、これは俺が本当にやりたいことじゃない、って、心の底から思ってたんだよな。
さて。
その生き方をしたことで、たくさんの人に迷惑をかけて、傷付けてきた。
その罪を、どう贖おうか。
それは、シンプルだと思うんだよね。
これまでやってきたことが全て、俺の本当にやりたいことじゃないとするなら。
であれば、俺が本当にやりたいことを見つけて初めて、俺は人に贖うことができる。
そうじゃないかな。
俺が本当にやりたいことを見つけて、そしてそこで人よりも成果を出して初めて、俺がこれまで作ってきた罪に対して、贖罪できる可能性が生まれる。
ポイントは2つ。
人より成果を出すこと。
そして、あくまで贖罪できる「可能性」が生まれること。
やりたいことじゃない!と言って、いろんなものを傷付けてきた。
じゃあ、やりたいことを見つけろよ。
自分で。
人よりも圧倒的に、自分がやりたいことを見つける努力をする。
そして、きちんと見つけていく。
そして、その見つけた先で、人よりも努力する。
そして、人よりも成果を出す。
ここまでできて初めて、普通の人よりも人に迷惑をかけて、傷付けてきた俺の罪を、贖罪できるかもしれない。
繰り返すよ。
俺の本当にやりたいことじゃない、って暴れるのであれば。
人に迷惑をかけるのであれば。
自分で見つけなさい。
そのための努力をしなさい。
そして、見つけたならば、そこで成果を出すための努力をしなさい。
そして、人よりも多くの成果を出しなさい。
それが、俺みたいな人間の、最も真っ当な生き方だと思うよ。
自分が本当にやりたいこと、に拘泥する人間のね。