14歳からの社会学 相手をよく見ろ

宮台なのにかなり読みやすい。が、内容的には他の本からブレてない。基本的には。難しいことが省かれてはいるが、しかし言ってることは基本的に同じ。

選択肢を知って、そこから好きに選べることが自由。で、自由ってのは幸せになるための1つ必要なもの。しかし、もう1つ幸せになるために必要なものがあって、それが尊厳。尊厳ってのは、自分は生きてていいんだって思えることだし、それは他者に受け入れられることからくる。つまり宮台的には幸せになるための条件は2つで、1つは選択肢を知って選べること、もう1つは他者に受け入れてもらえると感じられること。尊厳の強度の話はちょっと難しいってか色々あるよな。

確かに、他者に承認される経験を積んでいくと、それが自信になるよな。上手くいった経験があるからこそ、俺は大丈夫と思える。

どのような承認をどうやって得ていくかが結構問題だと。うーん。成功経験って読み替えていいのかな。

恋愛ってのは本来ってか昔は、もっと時間がかかるものだったんだろうな。

結婚自体ができるかどうかは問題じゃない。同じように、今の時点でモテるかってのもそこまで問題じゃない。

大事なのは、結婚したとして、じゃあそっから本当にお互いを大切にして幸せにする関係性を、結婚したい、って願望が本来指し示す関係性を長期的に継続できるのかってこと。それができないと結局、結婚したはいいものの仲が悪いとか冷めてるとか、中年くらいになって離婚するとか、そういうことになる。

こればっかりは時間の検証を受けないといけないし難しいことだが、しかしここを諦めたら虚しいよな。今の時点でモテるとか顔がとかどんな会社に入ってとか、そういうことじゃなくて、相手をちゃんと幸せにできるのか、って人間力みたいなものが問われてるんだよな。人間力ってなんかすごくマジックワードだからあまり使いたくなかったんだけど、ただ人間力ってまとめるとなんかしっくりくるんだよな。

相手を、ってか他者を幸せにできるか、ってところが致命的に俺にとって大事なんだなってことがだんだんわかってくるな。

これってすごい合理化の話、つまり酸っぱい葡萄の話みたいにある種の負け惜しみかもなと思いつつなんだけど、恋愛を広さと深さで分けたときに、時間ってのは限られてる。だから、恋愛を広く、つまりいろんな人と浅くやるか、少ない人と深くやるか、って2択になる。まあそもそも恋愛にどんだけエネルギーを使うかって話はあるが。

で、それはいいとして、俺の場合は特に留学中とか、可愛い子と遊びたいとか言ってるわけよな。で、それはまあいいけど、優先順位は考えろよ。おそらく外見が変わったところで、他の部分は変わらないから、俺の恋愛の経験値を増やすことにはならない。他の子で大体起こったことを同じようになぞるだろう。だから、そういう欲求を持つこと自体を否定しないし、そんなもんを否定したところでじゃあなくなるってわけでもないから無意味だと思うけど、だとしても、少なくとも優先順位としては理解してくれよ?広くて浅いってことがあってもいいけど、それより優先されるべきは深さだし、どっちかを選ばないといけないなら俺は深さを選びたい。

そんで、正直これは結構時間がなくて、無駄なことに構ってられる時間があんまない。だから、次の関係性を始める前に遊びたいなら遊べばいいと思うけど、真剣に深さを求め出したらもう戻って来れないし、それはもう戻らないって俺が判断してるんだ。機会を無駄にするのだけはやめてくれ。

俺が留学中に恋愛してたっていうと、何してんだよ!って言ってくる奴がいるが、もしそれを本気で言ってるのであれば、それは俺からすると歴史的な社会の情勢をわかってないと思うし、まあ好みの問題ではあるんだけど、一応この本読んでみれば?大学の勉強とかより恋愛する方が全然大事だって思うと思うよ?くらいは言ってあげたい。

あー、それでいうと、俺とか友達もそうだが、一人目と長く付き合って別れて、その痛みが結構深くて、でそっからしばらく長い恋愛をしてないってタイプかもな。で、もしかすると、また同じ痛みを食らうのを避けてるってところはあるのかもしれない。最近やっと痛みがマシになってきた、みたいな話はするしな。まあそりゃクソ辛かったし喰らわなくていいなら喰らいたくないが、そこはもうさ、betしないといけないリスクではあるんだよな。永遠に幸せで安泰です、なんて誰も言ってくれないし保証してくれない。そのリスクに合意した上で始めるしかないし、それについては、ああまあ、俺は今ちゃんと言語化してるけど、そこは受け入れよう。

辛い思いをするかもしれないし、それでも俺はまた挑戦したい。深く関係性を築いていきたい。うんそうな、そこの痛みはまだ残ってるし、残っていくと思うし、だからこそ俺は俺を変えられるし、もう一度食らうかもしれないことの覚悟をしよう。

ランダムなものに時間を使いたくなくて、俺の目的に沿ったこと、とか、俺の友達とか家族、とか、ある程度限定されたものに時間を使わないと、無限に向かって時間を流しても効用が無限に薄まるからな。深くするには、広さを制限しないといけない。じゃないと、無限に広くすると、無限に浅くなるし、それは無いのと同じだよな。制限しろ。広さを。そんで深くいくんだ。俺の大事な目的と、俺の大事な人のために。その取捨選択が大事だろ。段々でいいから幅は掴んでいこう。

あああと、1人目から5人目までで何を俺は学んだのか、みたいなことを前に書いたんだけど、今思うのは、1人目と5人目って俺の捉え方が違うなってことね。

1人目は期間が長かったしすごい迷惑をかけたな、って感じで覚えている。実際にすごく迷惑をかけたし、すごく傷つけた。それでも長く一緒にいてくれたことは、ありがたいことだし、今考えても申し訳ないなと思う。

が一方で、5人目に関しては、お互いに迷惑をかけまくって、お互いに相手に尽くしてきた、って記憶の仕方をしてる。迷惑かけられたしかけたしそこはお互い様だったけど、とりあえずお互いに幸せにしようって頑張ったな、って記憶が強い。

だから、2人に対する感覚は質的になんとなく俺の心の中で似てはいるんだけど、それはおそらく、俺がどっちもある程度好きってことはあるんだけど、それとは別に、相手とどういう関係性を作ったかってのは、5人目の方が濃密だし、俺にとって望ましい関係性に近かった気がする。

俺も相手を傷つけたけど、相手も俺を結構傷つけて、それで2人で何度も話し合ったし、最終的には相手を傷つけないように自分が妥協しよう、ってところで毎回お互いに落ち着いていた。俺は君のためにここまでできる、私はここまでできる、そういうラインの設定を2人で何度もし直してた。そういう関係性はすごく良かったなと、これまでに無いものだったなと思う。

願望水準を俺は落としたくない。

人を幸せにしようと思ったら、それは、俺の外見とか能力とかの俺の自己本位的な部分ではなくて、他人を理解することに、他人とのコミュニケーションにポイントがあるのかもしれない。

そりゃまあそうか。営業と一緒か?俺が素晴らしいものがあるって提示しても、相手はそれを欲しいかって言われたら微妙だよな。まあ自然にしてたらそうなっちゃうからこそ意図的に変えていかないといけないとは思うんだけど。何をしたら相手を幸せにできるのか。俺が何か俺の長所を提示すればいいのか?そうか?ほんとに?そうだった?

相手と俺のやり取りがコミュニケーションだとして、俺が単に俺が持つ何かを渡せばいいってことじゃなくて、相手のことを受け取って、それに合わせたことを渡す、ってのが、その時の相手への理解の深さとコストと、そんでほんとに相手本位に考えたものを渡してるのかってところがポイントじゃなかったか?

俺の長所があるとしたら、受け取って、相手にとって何を渡すのがいいかを考えられることだろ。そこの質の問題じゃないのか本質は。俺が持ってるものをただ渡せばいいってわけはなくて、相手がどんな状態なのかを受け止めて、それに何を渡したら相手が幸せになるのかを考えて、それを渡す。

俺が嫌だなと思うのは、俺が自分本位で、相手のことを何も見ないでとにかく何か俺の長所を渡すってことをすること。患者の顔も見ないでひたすら風邪薬を処方し続ける医者みたいなもんで。それはまあたまたま風邪の患者だったらいいかもしれないけど、まあ結構外しそうじゃん?

相手を診断して、相手に必要なものを考えて、それを渡す。そこに価値があるだろ。自分本位なのは随分とブラインドだと思うぞ。盲目。

まあ有り体に言えば、他者理解無くして他者を幸せにはできない。当たり前だけど。俺の長所をとにかく渡せばいい、ってそうじゃ無い。明らかに筋が悪いだろ。これをどうやって行動に移していけばいいのか分からんけども。

相手を診断して必要なものを渡す。必要なことをする。何か欲しいものはあると思うんだよな。というか、俺の長所に逃げるな、相手をよく見ろ。すぐには分からないかもしれないけど、ある程度見てればだんだんなんかわかると思うんだよな。

承認から求めるなと。まず理解するところからいけと。まあ確かにな。俺は認められるだろうかってびくついて、相手を理解しようとしない。そうすると相手はそんな奴を承認する必要がない。てことで、相手を理解して初めて承認を得られる。

俺がかっこいいかとか頭がいいかとかそんなことじゃなくて、相手を理解する、相手の立場でものを考えるってことができていかないと、俺は結局のところ誰かに認めてもらえることはない。

そこにいていいって思われることはない。相手をまず理解しないと。そこからだし、それ以外に可能性がない。相手をまず理解しないと。相手の立場を考えて、相手が何を考えているかを知ろう。相手が何を考えてるかわかれば、必要なものを渡すのも簡単だろう。相手が何を考えてるのかを想像して、それに合わせて行動していくんだ。それで初めて相手が理解できるし、相手から承認してもらえる。

俺もまだまだまだまだガキだなと思うが、宮台も25から10年間ぐらいずっと常時5人セフレがいたらしいし、その意味ではまあみんなこの辺りはストラグルするんだよな。

俺が無能とか思わなくていいから、とにかく相手を理解することに努めよう。俺が何を相手に渡せるかじゃない、そうじゃなくて、相手が何を考えてるかを想像するところから始めるんだ。その上で初めて、じゃあ俺が何を渡せばいいのかってことがわかる。最初から俺が何を渡せるか、でアタフタしてる限りは、俺はしょうもない。相手をよく見て、何を考えてるかを想像して、その上で相手に必要なものを渡せ。まず相手の理解から。じゃないと効果がないから。これはまあ確かに。

本読むのは楽しいんだが、ここまで情報が一気に拡散すると、それをまとめるのがだるいなって思うんだよな。色々忘れるだろうし。まあ覚えてるものが残ればいいのかなあ。いやまとめたいよな。うーむ。大変そう。

学校教育に特徴的な集団行動と監視の目の内在化は、それぞれ軍隊と監獄から来てる。元々比較的自由に働いてた農民をがちっと工場労働者として働かせるため。

最低限これが欲しい、っていうのをまず固めて、あとはまあ何でも良い、にした方がいいよと。どうせ全部は取れないから。まあそうな。そうすると、そんな金がなくても一緒にいれば楽しいって人と居たいよな。

それで言うと、お互いに学べると思うことが大事かもしれない。この人といると、楽しいもあるけど、それ以上に学ぶことが多い、そう考えられる人といるのがいいかもな。じゃないとつまんないかもな。まあでもそれは俺の理解の問題かもしれないが。

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