就活も人生も、『自分のため』では頑張れない
就活を含め、現在の世情が、『自分のため』という価値観に集中し過ぎているように感じます。
人間は家庭や地域共同体を含めた『仲間のため』に行動するのが基本であり、その『仲間』を失った人々が脅迫的に『自分のため』に努力せざるを得ない構造になっていると感じます。
というのも、少し遡ると、人類の誕生が500万年前で、農耕牧畜と定住、個人の所有の概念が生まれたのが1万年前です。
499万年間は狩猟採集であり、肉や植物は日持ちしなかったため、獲った獲物は仲間で共有するのが当たり前。つまり人間のモチベーションは長らく『仲間のため』であったと考えられます。
ですが、農耕牧畜の広がりによって個人の所有が可能になると、私服を肥やす人間が増え、『仲間のため』ではなく『自分のため』が人間のモチベーションとして新しく広がりました。
しかしおそらく、人類史において0.2%に過ぎない、たった1万年間で生まれた『自分のため』という価値観に、人間は対応していません。
未だ人間の生理的に正統なモチベーションは、『仲間のため』ではないかと考えられます。
一方で現在の就活事情を鑑みるに、「若手が企業に入って何を学べるのか」であったり、「個人の市場価値を高めるには」であったり、「自分が仕事を通して何をしたいのか」であったりと、個人の利益や損得ばかりにフォーカスした言説が、言い換えるなら、『仲間のため』というベクトルが失われた標語が溢れているように思います。
これを学生が鵜呑みにしてしまうと、若いうちは元気だから働けるとしても、中年以降の疲れた時に、疲れた上でそれでも自分は何のために働くのか、という問いに対して、誰々のため、と言える仲間がおらず、仕事はおろか人生さえも頑張れない、という状態になるように思います。
ですので今大事なことは、個人の利益や合理性だけを考えることではなく、自分が損をしてでもこの人を助けたい、とお互いに思える仲間を作ることだと思うのですが、主にネットの普及が理由で、なかなかそれもやりにくい世界になりました。
しかし、就活に限らず、『仲間のため』というのが健全な人間の生に必要であると考える以上、就活だけに勤しむことなく、表面的な友達との戯れに満足せず、家庭や親友や共同体など、腹を割った人間関係の構築を目指しております。