俺の存在責任。俺が背負う責任について
たまたま能力に恵まれた俺に科された立場と責任は、たまたま能力に恵まれなかった大切な他者を幸せに保つこと。
俺がやるべきことは、広く観て、大切な部分を見極め、新結合を齎すこと。そこに向かって目的合理的に俺を再構成すること。
そして、他者の幸福への目的合理的態度をミメーシスして、より多くの他者を幸せにすること。
全ては俺の能力に報いるため。俺が生まれ持った立場と責任に奉じるため。大切な他者を幸せに保つため。
同じことを、もう少し多い言葉で書いてみようか。
俺は、たまたま能力に恵まれた。
就活する中で、いろんな人から、「君は能力が高い」って言われる。
最年少でアクセンチュアの役員になって日経新聞の一面に乗るような仕事を何度もしてる方から、「君は僕と同じくらい能力がある」と言ってもらえる。
2000人の中から3人くらいの枠に選ばれたりもする。
その中で、じゃあそれは俺の実力なのか、俺の努力に由来するのか。
違うよな。
俺はたまたま優れた部分のある遺伝子を与えられて、たまたま経済的に恵まれた環境を与えられた。
その結果として、今の俺がある。
俺は、たまたま能力に恵まれた。
これは、俺が偉いわけでも、俺が頑張ったわけでもない。
俺はただ、たまたま能力を与えられた。
そして周りを見れば、俺と同じように、たまたま、能力を与えられなかった人がたくさんいる。
でも、そういう人たちが、能力がなかったとしても、でも、そういう人たちは俺にとって大切な人でありうる。
社会的に弱かったとしても、俺にとって大切な他者がいる。
金を稼げなくたって、社会的に高い地位にいなくたって、そんなこととは関係なく、俺にとって大切な他者がいる。
たまたま能力が与えられなかった彼らと、たまたま能力が与えられた俺。
その状況を踏まえて俺の解釈はもう決まってて、俺は彼らのために生きる。
彼らが幸せであるために、たまたま能力を与えられた俺は、与えられた能力を最大限に使う義務がある。
たまたま優れた俺は、たまたま優れなかったけど俺にとって大切な人たちのために、俺の優れた能力を捧げる立場にいるし、その責任がある。
そのために俺は、俺に与えられた能力を最大限に使う責務がある。
広く知識を入れて、その中から大切なものを分析して特定し、そこに新しい結合を齎すことで、全体をより良くすること。
核心に新結合を齎し、全体を改善して、他者に価値を提供すること。
大切な部分を特定して、そこに新しいアイデアをぶつけて、より人の役に立つようにすること。
そういうことをしたいなと。そういう能力の使い方だろうなと。
結局俺がやらないといけないことは2つで、1つは弱くても大切な他者を守ること。
もう1つは、俺のスタンスをミメーシスさせること。他者のために自分を使う、ってスタンスに他者を憧れさせて、真似させること。
なんか思ったより上手く纏って、拍子抜けしたかも。
大切な人のために俺を使え。学び、大切な部分に新結合を齎せ。そしてそのスタンスを他者に感染(ミメーシス)させろ。
大筋はこれだな。これに、色々この時はこうしろ、みたいな要素が追加されるけど、でも基本はこれ。
俺の生活の全てはこのために編成されるべきだし、それをしないなら、つまり俺の目的に俺が向かわないなら、俺は生きてる意味がない。
俺の目的に向けて、俺の全てを再構成すること。そして目的を達成することに務めること。それが俺の存在責任。それが俺の生きる意味。