発散→僕が君たちに渡すべき希望はなんなのか、一緒に考えよう
ファミリーホームじゃなくても、里親で最大で4人まで対応することはできるし、それってSOSの5人に近いから、1人の人間で対応できる限界値に近い。
ただ問題は、里親に4人も委託されないだろう、ってことね。
つまり、受け皿があっても、そこに行政から子供が委託されないと、意味がない。
ということは、里親とかファミリーホームを増やすと同時に、行政側でどんどん預けてね、ってところを進めないといけないし、行政側としても考えてることとかネックになる部分があるだろうから、そこのコミュニケーションは必ず必要になりそう。
あとは、ファミリーホームになると事業になるので金が出るらしい。しかし大体の場合は赤字になってしまう。
正直、行政に経済的に十分な支援をしろ、って俺は言えないと思うので、だって高齢者の方が多かったりするわけで。
まあ、滝本さんだったら、高齢者の二人に一人を説得すればいいんだ、っていうと思うけどね。
まあいいのだが、そもそも行政にそこまで求める気はないな、俺は。
お金の面こそ、民間でなんとかするべき問題じゃない?競争原理ってそのためにあるんだろ。
なので、ファミリーホームを展開するには、なんにしても金を稼ぐ必要がある。
あと年齢の話で、今は48歳でファミリーホームをやりたいって言っても、若すぎる、経験がない、と役所から言われてしまうらしい。
まあ確かに、実際にいろんなところの子供を一気に育てる、というのはかなり大変なので、若過ぎた、と言っていて、そうかあ、と思った。
だから結局、今のファミリーホームって、かなり高齢の方が運営しているのが普通だと。
でさ、これはまあいいけど、うーん。
これはこれでいいか。いいな。
でね、その人曰く、SOSみたいにコロニーになってたらもっとハードルは低いと。
つまり、みんなで集まって、困ったら助け合える支援があって、ってことであれば、だいぶファミリーホームを展開できるのではないか、と。
だからね。
結局のところ、SOSの形なのか、里親の形なのか、それって最後に決めるのは、というか一番最初に考えるべきなのは、子供にとってどう?ってことだよね。
もちろん、運営している方達がどう思うのか、とかはすごく大事なポイントなんだけども。
でも、判断の最初と最後に必ず全てを決定するのは、子供の意思なんだよな。
その意味で、里親とか、ファミリーホームとか、SOSとか、施設とか。
そういう環境にいる子たちと話して、どうしていったらいいのか、どんな環境を僕達大人が彼らに提供するべきなのかを、彼らから聞くしかないと思うんだよな。
彼らが今思うことを聞き、彼らに見えていない情報はこちらから伝え、その上で彼らと目標を決定していく。
結局、最後に全てを決めるのはそこなんじゃないかな、という気がしているな。
俺は一体、何がしたいんだろう。
子供に仕えたいのか。
子供の召使になりたいのか。
んー。
俺は、そうだな。
投資がしたい。
俺の時間とか人生とかお金とかを全部betして。
俺の人生を支払って、できるだけ多くの子供達の人生に、大きい影響を与えたい。
それで、世界がどれくらい良くなるのかを、見てみたいんだよな。
俺の支払いに対して、リターンが返ってくるのがいつなのかとか、どれくらいのリターンが返ってくるのか、とか、よくわからないけど。
なんのリターンもないのかもしれないし、俺が死んでから発生するのかもしれないし。
でもさ、そこはまあ、一旦別にいいよな。
めちゃくちゃ、割りの良い投資だと俺は思う。
まあ、直感なんだけどね。
それは、お金とかっていうか、世界がより良くなる、その幅の問題なんだよな。
子どもたちに家庭的な環境を提供する。
子どもたちに、大学への進学を含めた経済的な支援をする。
子どもたちに、将来の可能性を渡す。
その先に、世界がどれだけ良くなるのか、それを俺は見てみたいんだよな。
幸せな家庭を築いてくれるのかもしれない、ビジネスで活躍するのかもしれない、保育士や看護師として困っている人を助けてくれるのかもしれない。
どんな形になるのかはわからないけれど、彼らに希望を渡して、そして彼らがそれを受け取ってくれたら、それで世界は変わっていくと思うんだ。
俺は、その世界が見てみたい。
だから?結論は?
だから何?
だから、子供達から話を聞こう。
今いる環境に何を思っているのか。
本当に欲しいものはなんなのか。
僕が君たちに渡すべき希望はなんなのか。
お金なのか、家庭的な環境なのか、選ばれた人間だという自覚なのか。
僕が君たちに渡すべき希望はなんなのか、それについて、当事者の人たち、子どもも、大人も、いろんな人から話を聞いて、こちらからも情報を提供して、一緒に考えよう。
一旦10月までね。それから先は、行動しよう。そしてまた考えよう。