正解とかルールがあって作業に近い思考は、俺は好きじゃない。俺の正解とかルールを出して更新し続けることが楽しい
考えることは好きなんだけど、楽しくない考えるってことはあってそれはなんだろうなって。
例えば、これをやりましょうってなった時に、じゃあそれをいつどこで誰とやるの?って考えることはたくさんある。
で、それが、すごく大事な意味を持つならいんだよ。誰とやるのかとか、「あるいはいつ何と前後させてやるのか、みたいなことを考えるのが大事であるならそれでいい。考えるのは楽しいと思うよ
だけど、いや、まあ大体この人たちと、まあ時期的にはなるはやで、とかってもう条件というかルールが決まってて、あとはそれぞれに連絡して、具体的な日程決めて、みたいな、そういうのって、考えてるわけじゃなくて、むしろもう考えることなんてほとんどなくて、具体的な作業に落として実行するだけ。ってなると、俺は途端に興味を失う。
それは考えてるんじゃなくて、もう考え終わっってることを単に作業にしてやってるだけだなって。
そうだね、それは好きじゃないかな。
何が大事なのか、みたいな抽象度の高いことを決めるのは好きだし、どっちが正しいのかわからない、何が正しいのかわからない、。どうなってるのか構造がわからない、みたいなことについて考えて、何が正しいのか、何がベストなのか、何が重要なのか、そういうことを割り出すのは楽しい。
だけど、もうルールが決まってて、手持ちの駒も決まってて、あとは単にそれをルールに沿って駒を並べるだけ、みたいなのはつまらない。
ルール自体を、どんなルールを作るべきなのか、ルールの目的はなんなのか、今のルールをどう変更するのがいいのか、この辺を考えてる方が、答えのないことを考えてるのが楽しいよな。
目的とか優先順位とか意味とかを考えるのが楽しいのであって、それがもう決まっていて、あとは手持ちのものをルールに沿って並べ替えましょう、みたいなのは、俺は思考ではあるけど作業だと思うし、それは答えがあるからかな。
ルールが決まっててその通りにやることで正解、それでOK。そんなのは作業だと思う。そういうことを俺はやりたくないなと思うし、そういうことに対して人のリソースを借りられるとすごく嬉しい。効率化できてるう。と思う。
客観的な正解がないものに対して、俺なりの答えを出す、そしてそれを更新し続ける、ってことが俺は楽しい。好き。人の正解に盲目的に従うのは好きじゃない。