製薬会社 day2 よく聞いて承認を取り、協働しろ

1と2に関して、どっちも転けてるってのが現状だな。うーん、1に関しては、コミュニケーションの量がかなり減っている、ってのは、ほっといても回るからいいかなと思って外れちゃってるってところよな。2に関しては、1と同じだけど、ほっとけばいいやって状況ではあるので、逆にいうと、俺が議論を引けないので、その意味で試せてない。

が、思うのは、ああこういうところに来たかったよな、っていうところよな。目の前にはそれなりに激しい競争があって、しかし課題自体はそれなりに簡単で、だからイメージとしては、恐竜がよってたかって弱い動物を食ってる、みたいな。その中で、そこに加わった方がいいのか、って言われると、やっぱ俺は引いちゃうのよな。なんでだろうな、そこまでの競争には加わりたくないな、っていう判断なんだよな。勝てる競争には加わりたいが、勝てないものには加わりたくないな、っていう。まあこれって普通に普遍的ってか当たり前のことであって、勝つってこと、あるいは戦略ってそういうことだよな。そんで、もし勝つことがどうしても俺にとって必要であるなら俺はそっちに行った方がいいかもしれないけれど、そうだっけ?って話よな。まあでもこういうことをしたいと思ってここに来てるってところはあるから、その意味でこれでいいかなっていう。

その意味で言うと、俺の目的に対して、ここにくることが、いいことなのか?あるいは、他の選択肢の方がベターなのか?それは、他の選択肢の方がベターです。てか、このレベルの競争に加わって上に行こうってするよりは、違う道で戦った方が楽しい。楽しいし、確率として、俺の目的にアクセスしやすいと思う。これは逃げかな?と思いつつ、でもまあこういう話ってよく聞くよな、とも思う、戦う場所を選べよ、っていうね。単純に競争に乗るのは、努力じゃなくて愚昧だから。という意味でいうと、ここで違和感を持つ分には受け入れよう。それでいい。それでいいが、じゃあどうする?

核なんかあってもだから何?って考え方もあるし、それに俺が反論する必要はないってか好みの問題だからそれはそれでよくて、ただ、その核みたいなものに感応される人ってのはいて、そういう力を失いたくはないなと思う。それはそうな。

まあ正直、力にそこまで差はないし、あったとしても入社後にキャッチアップすればいいだけだから、そこまで差は多分つかない。あるのかな、あるとしたら大学から始まってそうではある。

こんなんじゃ承認されないし、それはそうだろ。これは俺が悪い。疎外に関しては。これってダメなんだろうか?

合理能力的な競争で俺が結構大変だなと思うところに入りたいと俺は思わないし、それはわかってよかった。勝てないならいいやってなるし、それでも俺の水準なら十分だと思う。とりあえず今は。で、それって、逃げ?逃げてるし、逃げるのが悪いかって言われたら、一概にそうではない、くらいしか言えないよな。

まあでも俺は、そこに競争に入るよりは、俺の目的に時間を使いたい、困ってる奴を助けたいし、核を持ちたい。まあもっと頑張れる。とは思う。が無理すんなとも思う。

考えたいことに手が届いてない感じはするし、これは寝るか本読むかとか他の視点から入らないと結論が出ないタイプだと思う。思うが、だからと言ってもういいやって諦めていいタイプでもないような気がする。なんかこうじゃねえな、こうじゃねえってのはわかってるのにじゃあどうすればいいかわからねえな、っていうすごい手探り?てか空を掴もうとするような、そんなことをずーっとやって、それで初めて先に進める気がするんだよな。意味ない仮定とか結論とか仮置きして、やっぱ違うわとか思って、それで外の視点を持ってきてやっと少し進める、みたいなタイプの問題な気がする。

人間関係について、どこまで広げる?ってことよな。答えはないかもしれないけどベターはあるはずだし、でも、何かを言うとしたら、それは、感染動機と時間かもな。こいつすげえな、って俺とは違うしそれを真似すればいいかって言うと違うんだけど、それにしてもそれはすげえなってところと、あとはそれを知るための時間。じゃあどこまで?家族?親族、その先まで?どこまで伸ばせる?思うのは、近いところから、ってのが鉄則だよなと。まず近くの家族から初めて、そっからちょっとずつ伸ばすってのが、俺にはいいんじゃないか?違う?じゃあこれはどうすればいい?何をとったら俺にとって正解なんだ?

ここの会社って基本的に、言ったら悪いけど、雑務を扱っている。という点で、それはわかってるけど金を稼ぐ手段としてはそれでいいんだよね、って人が多い気がするし、それを否定しようとは思わないよな。それはそれでいい。と思う。思うが、俺はもうちょっと欲を出して、仕事の時間を減らしたいし、やりたいこともやりたいし、大事な人に時間を使いたい。っていう意味で行くと、まあやっぱ手近なところから行った方がいいんじゃねえのか?って思うことはあって、それで行くと、そのためにできることはやっとけば?とは思う。他になんかあるか、考えること。

これが簡単な結論として出て、一回今の段階でそれを答えにすることは問題ないと思うが、なんかそれで解決できてる感じもしないんだよな。事後的に振り返ってああこうすればよかった、はわかるかもしれないが、今の時点でこうすればいいってのは、うーん、俺の中にあるものだけでそこに対して結論を出したくない、ってことが1番でかいかもしれない。多分、ここまでこういう問題にはそこそこ当たっていて、それでも明確な結論は出ていなくて、だから今回俺がまた答えを出したとしても、じゃあそれに対する信頼性ってどうなの?って聞かれた時に答えられない。が、今こうやって並べてる文字に対してもなんか上手く信じられてないところがあるし、それはもうちょっとまともな環境でやった方がいいって感じはしなくもないよな。

もうちょっと直裁的にやってみ?いや、こんなレベルのワークなら1人でやればいい話であって、そこに10人かけることに意味はなくて、それで何を測れんの?って思う。実際に仕事がそうって言うならそうかもしれないが、そうじゃないだろ、とも思う。まあそれはいいとして、この環境に入ったとして、独立する可能性って多分そんなになくて、それはそれでいいって人はもちろんそれでいいし、それに対して、いや会社の金を使わせてくれて、しかもある程度大きいポストを任せてくれて、それなりに金をくれる、ってことであれば、それは正直俺はそれでいい、と思っている。そこがダメってなったらそれはまたそれで苦しいんだけれども、少なくとも今の状態としては、それでいいなと思うし、なんでそうなんだろうな。

いや、この状況が好きじゃないから。そうだな、これが好きじゃない。俺たちに必要なのって、同程度の人間じゃなくて、もっと上の人間じゃないか?だって俺たちは、こうしろって言われたらそれをその通りに学習できるわけだろ。というのが1つ。

あとは、まあ雑務って大事だと思うけども、うーん、仕事の先が見えないってのはあるかもな。仕事をすること自体はいいとして、しかし俺はそれを早めにどっかで辞めたいし、その行き先が見えない。というのと、まあそれと似てるけど、仕事を辞めたいってのは他のことに時間を使いたいと思ってるからであって、であれば、そっちを明確にしたいし、そこに対する時間を増やして、そっちにトライアンドエラーを入れたい。という意味で、ここじゃないんじゃない?という感覚はある。から、山口周の何かをもう一回聞いた方がいいと思ってはいるけれども、まあとりあえず、ここに俺が必要だとは思わないし、それは、俺がガキだからって面と、実際問題としていらないって面と、いらないって面に対してじゃあいるっていってくれる場所でそれなりに満足できる条件だったらそりゃそっち行くよねってのはそれはそうで、しかし、いらないとして、じゃあそこを手放してしまうってのはそれでいいのかなってのは疑問としてあって、まあ結論から言って、いいんじゃねと思ってはいる。が、いやそんなことない、って俺の中で誰かが言ってるのはそれはそうで、それに関してはどうしたらいいのかなと。なんでそうじゃないのかなと。

この場に対して、特に俺ができることはないと思う。それは、能力差ってよりは単純に、対象に対して力が有り余ってるよね、っていう。で、そこで俺は関心を失ってしまうわけだけど、関心を失わないでくれよ、ってのはあって、関心を失わないでくれよ。

あー、あー、感情的に、これは嫌いだ!って騒いでる時に関しては、それは感情に流されない方がいいと思う。が、今回に関しては、結構論理的に関心がないような気がする、、、そうでもないか?

いやまあ、なんかできたらいいとは思うよ。それはそうだね。だが、別に俺の能力で何か大きく飛躍することはないと思うし、それは正直、課題に対してアウトプットが割と天井を打ってる。という意味で、能力差は大してないと思ってる。で、見てればいいや、というスタンスではあるので、そしてそれに対して、積極的に口を挟んだ方がいい、かと言われると、なんかそう思うわけでもなくて、それは多分、そこに対して俺のモチベーションがないんだろうな。

それは好みの問題なのかもしれないけど、逆に競争にはガンガン行きたいって人もいるのかもしれないけど、まあ俺の好みであるならば別にそこに手を突っ込んだ方がいいとは思わなくて、まあ見てればいいやと思うのであれば、それはそれでいい。それよりも、求めてくれるところで能力を出して、同時にやりたいことをやってく、で俺はそれでいいと思う。競争に勝つことじゃなくて、俺の目的を捉えること。結局は俺はそこに関心があるし、他人との競争ってのは目標としてはいいんだけど、それが目的にはなり得ない。て言うのはまあ昔からよな。性格なんだろうと思う。で、今回この中で勝つってことは目標になり得るけれど、じゃあその目標が俺の目的に繋がるかって言われたらそれは俺の目的にあまり関わりがないし、ここに勝ちたいって目標を設定する理由と、ここにいる人と関わりたいってニーズがないってのは、別の問題として問題だよな。

なんでないの?まあそれに関しては、変な奴はわかるし、それが俺にとって大事な人間関係なのかもしれないなと思うし、俺の目的に叶う限りで嘘をつくってか仮面をかぶることについては同意するけれども、それ以上のところでは、つまり仕事って文脈において必要がないのであれば、正直コミュニケーションってのは、うーんどうだろう。

宮台の本で、信頼しろ、と言われて、そうした方がいいかなと思ったが、その方が効率もいいかもしれないが、俺の好みとして、そうじゃねえんだろうな。

あーあ、こんなこと言っていいのかなあ。ダメかなあ。

まあでもそう思ってるんだよなきっと。面白い奴は面白いと思うし、まあでも最初と最後でそれは思ってることが違かったりもするし、そこは神のみぞ知るってところではあるんだけれども、時間をかけられるかってことと、なるようになるってところな気がしていて、ただし、普通にやってたら失敗するってのもわかってる。であれば、何かしらしないといけないし、それはここでいいのか、違うのかって考えたら、とりあえずある程度の時間は必要なんだよな。

いや結局何を考えてるかって、最終的に俺の好みっていうのを最後の判断基準にしていいのかって話をしていて、それに関しては、確かに偏る可能性が結構あるし、それはそれなりに怖いよなと思いつつ、ただそれはもうしょうがないんじゃない?という結論ではあるし、一般論でこうした方がいいってのはノイズだから、それよりは、俺が好きだなと思う人の意見をいろいろ聞いていければなと思いつつ、しかしそうするとそれって余計に偏るんかないかって話もあって、それはそれで困るよなって思ったりもすると。

でもじゃあ、偏りがないってことにどこまで価値があるのか?って話になるよな。別に良くね?偏ったとして、好き嫌いが分かれるとして、生きていけて、俺が好きなものを好きって言えて、これじゃないなと思ったものに対してこれじゃないって言えるのであれば、それで十分じゃないか?八方美人過ぎないか?

んーなんか逃げてるかなあ。俺が苦手なものから逃げてるかもしれないし、そこを合理化してるだけなのかもしれない。ていう意味で、じゃあ外から見たらどう?ってことになるんだよな。

って意味で、まあだから俺が一人で考えても仕方ないよなっていうね。

結局のところ結論は何?だから、目的に叶わないなら捨てて良くない?あるいは、楽しくないなら捨てて良くない?それを恥じる必要ってあるの?いやもし友達がそれを言ったとしたら、いいんじゃない?って言うと思うんだよな。そう思うなら結局はなるべくしてそうなるんじゃない?っていう。行ってみたらイマイチで、それよりはもうちょっと面白そうなところがあって、そっちに行こうかなと思うんだよね、って言われたとして、じゃあそれでいいじゃん、に対して特に反論はない。まあ何が嫌で何が好きなのかを分析したら?とは言うかもしれないけど、それは別に、その判断が間違ってるって意味ではなくて、単純に知りたくない?ってことでしかない。し、それでいいよな。

頭がいい人って結局考えることが似てくるし、そういう環境にいても俺はあんまり楽しくない。これは俺のエゴ。で、それよりも俺の頭の良さを求めてくれる場所で能力を発現させた方が俺は楽しいし、条件もいい。じゃあそれで。

別に、仕事で誰よりも勝つことが目的じゃなくて、俺がやりたいことをやり、最終的に時間と経済性を確保して、やりたいことを全部実現するための道具でしかないし、そのために今見える範囲ではそうしていきたい。てか、そこに向かって振り切っていいような気がする。

まあなんていうか、いや怖いは怖いし、とりあえず頭がいい人がいるとこにいた方がいいんじゃない?って感じはするんだけど、それってなんでなんだろうな。安定するから?安定していたいのか?いや違うて。早く出たいんだよそっからは。

感情は一過性であり、目的は長期的にある。どっちを優先するかって好みだけど、だけど、時間は限られてるし、今回の回り道に関しては、俺は多分楽しくねえよ?

最悪金とかがある程度微妙だとしても、やりたいことをやり、欲しいものを手に入れたい。欲しい関係性を手に入れるために、時間と金をそれに集中したい。あと、楽しくないとどうにもならん多分。まあそれもガキだけどな。

ただし、目的に適ってるか、楽しいか、って2つの面で見て、ここじゃねえ、ってのは言えると思うんだよな。

で、コミュニケーションに関しては、うーん?関係ある?楽しい?楽しいかもしれない、それはそう。だが、うーん?

対人関係のラインを引こうか。困ってる奴は助ける。これは第一原則で、もう1つ、気になった奴は引っ張る。これもそう。で、別にいいかな、と思ったやつに関しては、別に良くないか?

何を求めてるんだよ。楽しさ?それが欲しいならそれを頑張れよ。俺の不能感?楽しさの欠如?不能感だな。この状況において、こういう行動をとるが、それってどうにかならないの?ってところだよな。直したい?機能として?あるいは欲求として?機能として直したい。おけ、じゃあ頑張ろう。

で、機能として可能になったとして、それに価値があるかどうかは後で判断しよう。ってこれってさ、機能と同じ議論じゃね。機能として可能であることと、楽しいかってことはまた別だし、まず機能的な不能感が1番疲れるので、それをなんとかしてほしい、というか、機能的に可能であるって認識を持ちたい。可能だろ馬鹿。とちょっと自分にイラっとする。が、まあやってみ。

集団的なコミュニケーションに乗ることと、個人的なコミュニケーションを始めることってどっちが難しいんだろうな。積極性の部分で、関心がないと俺はやらないのかもしれないな。てか、関心がないことをやることについて、すごく消極的かもしれないな。そこに対して行動するのが疲れる。何はともあれ円滑なコミュニケーションをしようってことを今俺は言っていて、それは、機能性の部分ですごく俺は左右されるんだよな。まあでもそれはそうか。承認の問題ではあるよな。承認の問題ではある。が、それってすごく同じことよな。価値提供は大事だが、価値提供の内訳として大事なのは、相手を理解することだよと。ああだから、その意味で俺はガキかもしれない。まあずっとそうだけど。理解するってモチベをとれと。困ってるってことと、理解するってことと。

ここに入りたかったかと言われると、別にそうでもない。が、学ぶことがあったかというと、はー、まあ、なんていうか、学ぶことはあったし、それは、本を読むことを飛ばしたかもな。いやまあ結局、俺は承認が欲しいのにそれを能力の提示で得られないと拗ねる、って状態があり、それに対して、拗ねてない!って議論をしようとして空回ってんなってな。まあ良くある話だよな。

承認が取れないとして、拗ねるとして、しかし普段の経路だと無理、てか、普段の経路だとしても無理、とすると、これはある種強制的に、もう1つの経路を取らされるか諦めるかって2択を迫られていたと。で、そこで言うと、相手の言うことを聞け。そんで理解しようとしろ。それすると、俺に意見が求められるようになり、だんだん俺が発露出来るようになる。承認を取ってからコミュニケーションが出来るようになる。

という意味で、まず聞いて、相手を理解しようとしろ。特に能力で押し切れないときな。承認が取れないと俺は腐る。で今は前半よりマシ。でそれは、相手を理解しようとした結果、言い換えると、相手を理解するために聞いた結果、あるいは、聞くことで相手を理解しようとした結果。

理解する最初は聞くこと。聞くこと。まず聞いて、そこで承認を取れ。能力のゴリ押しだと出来ない。まず聞け。理解するために聞け。

逆に能力の発露で普段やってるのは、支配と服従の関係を作ってるだけで、それはどうしても壁ができる。だろ?でそれが邪魔なんだよ。結果を出すにも、俺が欲しいものを取るにも。という意味で、俺がやりたいこと自体は変わらないけど、その前提にあった見えない壁見たいのに気づけたかな、という感覚がある。聞くことからしか始まらないよと。

まあ結局のところ、それがベストではあるんだよな。政治とかもそうだし。まあでも、だったらAIで良くない?という話にもなる。まあ誰か専門的なやつに委託しよう、というのが民主主義のベストではあるし、あるいは共同体のサイズを小さくしようってことになるんだよな。

あー、優秀な人が集まると納得度が下がるよな、意見を出せるかってところで。まあそれは似てるかもな。俺だけじゃないのか。結局能力で捩じ伏せちゃうところがあって、それってアウトプットが微妙なんだよな。まあ今回は簡単だったから良かったけど。

議論の満足度って上げる必要あるの?

議論の枠を引いてたらしいよ。うーんまじ?あんま参加してなかったけどな。

結論は、理解するために聞け。理解しよう、興味持とう。

理解して、リスポンスしてくれてたし、なんかそれって評価高いよな。物事が進むってそうかもな。ある程度進むのはまあ誰がやってもそうで、足りないところを補わないとだんだん動かなくなる、から、補ってくれる人がいるとありがたい、っていう。

ああでも聞くことと引っ張ることは対立するのか。不思議だな。

血みどろの議論だといいアウトプットは出ないのかな。仲良い方がいいアウトプットが出る?

聞いてリスポンスするってのが、議論するってことよなあ。まあ確かに。

枠を引くのはそうだが、一方で、聞いて組み合わせてくってことをしてて、それは大事な気がするんだよな。俺がまだ出来てないからよくわかんないけど。

音と動作を足せと。

理解して欲しいと思ってないが、隠れたいとも思ってない、みたいな感じな気がする。

こうやって学んでることをどこまで敷衍できるか、ってことについてはまあやってみないとわからないが、しかし、出来そうな感じはする。

聞け。頷け。どう繋げればいいんだろうな。一般的なニーズかと言われるとちょっと微妙な気がする。


書いたことを今振り返って、すごく迂遠な議論をしていた気はする。もっと直接、俺の弱いところに踏み込めば良かったし、でもそれは外にいて誰に見られてるかわからなかったからできなかったんだろうな。

その結果、やたらと遠回りな言い方をし続けて、めんどくさい文章になったと。

ただ、言ってること自体はまあまともな方向に向かってはいて、結局のところ、俺が議論における能力で周りをねじ伏せたとして、それで勝てたことって、なんかないんだよな。

それは端的に、俺がそこまで能力がないってことなんだろう。

そしてまた、能力でねじ伏せてできるのは、支配と服従の関係性であって、それって俺が求めてるものではないし、それは承認ではないよな。

その意味で、なんにしても、つまりアウトプットの出来にしても、俺が欲しい人間関係を得られるかってところにしても、能力でねじ伏せようとするな。

そうじゃなくて、よく聞いて、それによって承認を取りに行け。

その上で協働するんだ。

ここが振り返って今俺が考えてること。

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