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創造活動は、境界への挑戦

『あらゆる創造活動は何らかの意味において、境界への挑戦である。

トリックスターに乗っ取られてしまうと、単に「嫌な奴」になるだけだったり、破壊者になるだけだったりする。』

河合隼雄の『心理療法序説』から。

なんか、ちょっと救われた気持ちだな。

まあ俺は、境界の一部をズタズタにしたんだと思う。

で、それは確かに、もっと上手くできなかったのかよ、って話なんだけど。

でも一方で、じゃあ破壊しかしなかったのか?と。

そんなことないよな。

150人規模の対面のイベントを新しく企画して、実際に実施して。

価値提供もできたし。

まあ完全じゃあ全然ないけど。

しかも、その経験を一個下の代に引き継げたし。

だって、俺の代では誰も企画なんてしなかったのに。

俺の1つ下の代は、もう4つも新しい企画を出してくれてる。

その全部に、俺はメンターとして入ってるし。

でもおかげで、こうやったら成功するとか、こうやったら失敗する、ってのもわかってきた。

企画の実施に重要な人に早めに相談しろ、とか。

やりたいことが明確にある1人に企画を決めさせろ、とか。

だからね。

既存の境界を破壊はしたと思うんだよ。

それで、人に迷惑をかけたとも思うし。

だけども。

だけども、じゃあそれで何かを壊して迷惑をかけただけだった?っていうと、そうじゃないと思うんだよな。

俺自身が、新しい価値を構想して実現できた。

そして、その価値観とか行動様式を他人に受け渡すことができた。

なんかもう、ここまでやったら十分に創造的だなと思うんだよな。

いや確かに、100点じゃないと思うし、もっとできたのかもしれないとは思うんだけど。

でも少なくとも、何の価値も生まなかったわけではなかったなと。

だから、なんか割と、晴々してるところはある気がする。

迷惑かけたし、また人に嫌われたかな、ってところは気にはするんだけども。

まあでもそれは、ある程度はしょうがなかったかなと。

まあ、もうちょっと負担をかけない形で進められたかな、とは思うけどね。

そこは反省だと思う。

あとは、そういうのに耐えられる人たちか、というのも、なくはなかったかなと。

てかまあそれは、俺の環境選択、ってところなのだと思うけどね。

適当に入った環境で、よくまあここまでやったし、やらせてもらえたな、というね。

ありがたかったし、申し訳ないし、でも納得できない部分もあるし、というね。

そんなに綺麗に心情が片付いているわけではないのですが。

まあ、そういうのが人間かなとも思うしな。

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