まあ纏った ここがいいなと思う理由はあって、やらせてもらえるなら頑張ろう
俺に感情が無いわけじゃないよ。
ただ、めっちゃ気持ちでうおーって持ってくタイプでもない。
それよりは、一次反応を排して、一回気持ちを踏みとどまって考えて、これでほんとにいいんだっけ、なんでこれなんだっけ、って考えて、それで行動を決めると。
それが俺らしいやり方だし、時間をとって話してもらうことに対して俺ができる、1番の準備だなと思うんだよな。
よく考えて、なぜなのか、ってことを伝えること。
気持ちの高まりを持っていくよりも、きちんとした論理と分析を持っていくこと。
なぜここなのか、って言うことを、気持ちの昂りで説明するんじゃなくて、条件をきちんと並べて、かつ俺がどうしていきたいのかも含めて説明すること。
ここじゃなきゃいけない、なんて理由は世界のどこにもないよ。それはなんでもそうだけど。
でも、ここがいいんじゃないか、って理由はいっぱいある。人も素敵だし、キャリアパスもあるし、風通しもいいし、前例もある。これ以上の条件はちょっとなかなかないんじゃないかなと思う。
落とされたら、また探すから、それはそれでいい。世界はきっと与えてくれる。
だけど、ここで働かせてもらうなら、ここでやっていこう、と思えると思うし、好きにもなれると思うし、そのためにたくさん学んで成果を出して教えようと思うし、そして俺の目的を達成できるとも思う。そういうことを考えて、ワクワクもしてる。
ここじゃなきゃいけない客観的論理的理由は無い。でも、ここがいい理由はたくさんあって、やらせてもらえたら嬉しいな、と思うし、やらせてもらえるのであれば、きちんとやりたいなと思う。
入れてもらえるなら人を好きになるだろうし、学んで成果を出して教えるって形で俺の能力を使って貢献したいって感じるだろうし、実際にそうすると思う。だし、俺は他にも大切な人がいてやりたいこともあるから独立したいと思うけど、でも大切な人には幸せでいてほしいと思うから、何か役に立てることがあれば全然やらせていただこうとも思うし。そういう将来にできたらいいなと思っている。
事前合理性がない事象の選択において論理的客観的理由は存在しない、なんてこと言わない方がいいのかもしれないけど、でも、フェアに考えたいし、その結果としてフェアに、後ろめたいことなく、考えたことをきちんと伝えたい、と俺は思う。
まあでも、それはそう、ってことすぎて、いう必要もない気がするけどね。
ああだから、絶対論理的にここでうまくいくってことは申し訳ないけど将来のことだから証明できない、ってことを言いたいんだな、俺は。それはそうだろ、と思うけど。
うん、なんかもう、考えたわだいぶ。